第九段本文―7百不足之八十隈に隠居

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第九段本文―7百不足之八十隈に隠居

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原文

故、大己貴神、則以其子之辭、白於二神曰「我怙之子、既避去矣。故吾亦當避。如吾防禦者、国內諸神、必當同禦。今我奉避、誰復敢有不順者。」乃以平国時所杖之廣矛、授二神曰「吾、以此矛卒有治功。天孫若用此矛治国者、必當平安。今我當於百不足之八十隅、將隱去矣。」(隅、此云矩磨泥)。言訖遂隱。於是、二神、誅諸不順鬼神等、一云「二神、遂誅邪神及草木石類、皆已平了。其所不服者、唯星神香香背男耳。故加遣倭文神建葉槌命者則服。故二神登天也。倭文神、此云斯圖梨俄未。」果以復命。

現代語訳

第九段本文―7
大己貴神(オオナムチノカミ=オオクニヌシ)は息子(=コトシロヌシ)の言葉を受けて、二柱の神(=フツヌシタケミカヅチ)に言いました。
「私が頼りにしている子供(=コトシロヌシ)は、去りました。
わたしも、その子供と同様に去りましょう。もしも私が抵抗するならば、国内の神々も同じように抵抗するでしょう。
今、私が去れば、誰も歯向かう者は無いでしょう」

そして(オオナムチが)国を平定したときに突いた廣矛(ヒロホコ=幅の広い矛?)を二柱の神(=フツヌシタケミカヅチ)に授けて言いました。

「わたしはこの矛で、事を成しました。
天孫(アメミマ)がこの矛を使って国を納めれば、必ず平定出来るでしょう。今からわたしは百不足之八十隈(モモタラズヤソクマデ)に隠居しましょう」
隅は矩磨泥(クマデ)と読みます

と言い終えて、(オオナムチは)姿を消しました。これで二柱の神は沢山の従わない鬼の神々を処罰し終えると、高天原に帰って報告しました。
一説によると…
二柱の神は邪神と草木・石などを処罰して、全てを平定しました。そのとき従わなかったのは星神香香背男(ホシノカガセオ)だけでした。
そこで倭文神(シトリガミ)の建葉槌命(タケハヅチノミコト)を派遣すると、従いました。それで二柱の神は天に昇りました。

倭文神は斯圖梨俄未(シトリガミ)と読みます。
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解説

百不足之八十隈
「百にはいかない八十くらいの曲がりくねった道を行った先の……」という言葉で、一般に「幽界」「黄泉の国」というニュアンスがあると考えられています。つまりオオクニヌシは死んだ。ということです。

オオクニヌシの物語がすべてではないにしろ、幾らか実在の人物をモデルにしているのならば、確かに死んだ、ということになりますが、それでもオオクニヌシは神です。事代主神も神です。日本人にとって神はもともと見えないもの。

神ならば、単に「ここから居なくなった」程度のことです。そもそも日本の神は一カ所に定住するものではなく、山から里に降りてきて、里から山に帰っていくものです。

それに居なくなったといっても、実際には出雲大社という、(記紀編纂時には)伊勢神宮よりも大きく、高い神殿に鎮座していたのです。

「死んだ」や「黄泉の国に行った」という意訳はあまりに掛け離れています。

個人的コラム

農業革命があったのでは?
オオクニヌシは確かに偉大な神だったのだと思います。国を豊かにしたのでしょう。そのオオクニヌシをタケミカヅチフツヌシという「金属の神」が国譲りを迫ったというこの物語は、農業革命を表わしているのではないか?と思います。

農業革命ってのは鉄器の普及です。
それまでは木の道具で耕していたはずです。これでは堅い土は掘れない。鉄器だと簡単に掘れる。耕作の効率があがり、開墾が楽になります。

この鉄器(農機具)の普及によって、生活圏が広がり、人口が増えます。その中でオオクニヌシの神としての役割が変化していったのでしょう。

オオクニヌシは沢山の名前を持っていますが、「大地の神」という性格が強いようです。例えば葦原色許男神(葦原の強い男)、顕国玉神(ウツシクニタマ)、オオナムチも名前から見ると「大地」を表わす字は無いですが、祀られる神社は土地の神といった意味のところが多いです。

それまでは「土」や「土地」の力によって農業を成立させていたものが、農業改革によって、農機具にポイントが移って行った…それが国譲りなのかもしれません。

または、水耕稲作が入って来て、「水・太陽」が感心の中心になり「土」の役割が薄れたからかもしれません。
●水耕稲作は連作障害を起こさず、肥料も多くは不要で、効率よく高カロリーの米を収穫できるため、土への関心が薄れたのでは??
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