第九段本文―8吾田の長屋の笠狭の岬へ

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第九段本文―8吾田の長屋の笠狭の岬へ

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現代語訳

第九段本文―8
高皇産靈尊(タカミムスビミコト)は眞床追衾(マトコオフスマ=古代の掛け布団)を皇孫(スメミマ)の天津彦彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコヒコホノニニギミコト)に着せて、天から地上に降しました。

天津彦彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコヒコホノニニギミコト)は天盤座(アマノイワクラ)を後にすると、
天盤座は阿麻能以簸矩羅(アマノイワクラ)と読みます。

天八重雲(アメノヤエクモ=幾重にも折り重なった雲)を押し分け、いくつもの別れ道を抜けて、日向の襲高千穗峯(ソノタカチホノタケ)に降り立ちました。

そこから天津彦彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコヒコホノニニギノミコト)は槵日二上(クシヒノフタガミ)の天浮橋(アメノウキハシ)から立於浮渚在平處(ウキジマリタヒラニタタシ)に降り立ち、
立於浮渚在平處は羽企爾磨梨陀毗邏而陀陀志(ウキジマリタヒラニタタシ)と読みます。

膂宍空國(ソシシノムナクニ)を頓丘(ヒタオ)から良い国を探して通り抜けて、ついに
頓丘は毗陀烏(ヒタオ)と読みます。覓國は矩貳磨儀(クニマギ)と読みます。行去は騰褒屢(トホル)と読みます。

吾田(アダ)の長屋の笠狭(カササ)の岬に着きました。
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解説

眞床追衾(マトコオフスマ)
なんで掛け布団を着せたのか?というと、ニニギがまだ子供だからです。
日向の襲高千穗峯
日向という名前は「日が当たる場所」という意味で、特定の土地を表わしているとは限りません。また高千穂嶺という名前も、「高い」「実りの多い」「山」という程度の意味で、固有名詞とは言いきれません。
槵日二上(クシヒノフタガミ)の天浮橋(アメノウキハシ)
槵日二上(クシヒノフタガミ)は頂点が二つあるという訳仕方をされますが、いまいち、よく分かりません。天浮橋(アメノウキハシ)は天の橋立のような中海に出来た中州ともされますが、ハッキリしません。
立於浮渚在平處(ウキジマリタヒラニタタシ)
海の浮島の平らな所のこと、とされます。
膂宍空國(ソシシノムナクニ)
膂宍(ソシシ)は背中の肉。背中の肉は食べるところが少ないので、痩せたという意味です。空國(ムナクニ)は同様に空っぽの国という意味です。ムナクニと読まずに「カラクニ」と読む場合もあります。現在の朝鮮半島を指しているとも言われています。
頓丘(ヒタオ)
中国の濮陽の近くに頓丘という都市がありました(現在は分からない)。これが頓丘(ヒタオ)なのかもしれませんが、漢字の成り立ち(頓丘でなだらかな丘とか凄い丘とか)から考えても中国の都市と考えるのは無理がある。
覓國(クニマギ)
クニマギは「良い土地を探して歩くこと」を指しています。ニニギが天から降り立ちながら、あちこちを探してあるいているということです。出雲はどうなったのやら。
吾田(アダ)の長屋の笠狭(カササ)の岬
鹿児島の西部に笠狭(カササ)の岬があり、ここだろうということになっています。
ということは最終的に鹿児島に降り立ったということになります。まぁ、本当に鹿児島の西部かはともかく、この後、九州南部出身の隼人族のコノハナサクヤヒメことカムアタツヒメが登場することを考えれば、ここがニニギが到着した土地で無かったとしても、九州南部にやってきたことは間違いないのです。
ということは出雲はどうなった?と考えるのが筋。物語の時系列としてはニニギが降り立つより出雲の国譲りは後の物語なんじゃないか?とも思います。
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個人的コラム

日本人にとって神は海の向こうから
ニニギの天孫降臨の記述から、ニニギは韓国人だ!と主張する人が中に居るらしい。夢はありますが、その前に考えないといけないことがあります。

日本人にとって神は海の向こうから来るもの。だから神武天皇は九州を出発し機内へ行き、神宮皇后は神武天皇と同様に瀬戸内海を通って機内に入っています。またエビス信仰、スクナヒコナ、大物主神と、海からやってくる信仰は幾らでもあります。

神は海の向こうから来るもの。海の向こうから来るといっても、近場の島からではありがたみが在りません。遠い場所から来た方が価値が上がります。神秘性が高まります。そこで、出来るだけ遠い場所から来たように設定します。

そして日本人にとって海の向こうの世界は、死の国でもあります。決して極楽や楽園という訳ではありません。

ただ、神話の中に史実が紛れ込んでいることはありますから、実際に中国の都市から朝鮮半島を通って来た可能性もありますよ。

原文

于時、高皇産靈尊、以眞床追衾、覆於皇孫天津彥彥火瓊瓊杵尊使降之。皇孫乃離天磐座、(天磐座、此云阿麻能以簸矩羅)。且排分天八重雲、稜威之道別道別而、天降於日向襲之高千穗峯矣。既而皇孫遊行之狀也者、則自槵日二上天浮橋立於浮渚在平處、(立於浮渚在平處、此云羽企爾磨梨陀毗邏而陀陀志)。而膂宍之空國、自頓丘覓國行去、(頓丘、此云毗陀烏。覓國、此云矩貳磨儀。行去、此云騰褒屢)。到於吾田長屋笠狹之碕矣。
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