梅雨の恐怖と水が穢れを祓うのは矛盾しないか

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梅雨の恐怖と水が穢れを祓うのは矛盾しないか

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穢れを呼ぶ水と、穢れを祓う水

梅雨とケガレ
水は穢れを祓うものです。
現在、参拝前に神社で手を洗いますが、
昔は全身を水で洗っていました。
そうして俗世の穢れを祓うことで、
ようやっと神前に出る資格を得ます。

水は穢れを洗い流すものです。
梅雨の水への恐怖と、
穢れを祓う水は矛盾している……
ような気がします。

しかし、矛盾はしていない、
とわたしは考えています。
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穢れを祓う水

まず、穢れを祓う水は、
単なる水ではなく、「清流」です。

つまり、流れる水です。
大抵は川の水です。
川の流れが穢れを洗い流すわけです。
決して、単に貯められた水ではありません。

貯められた水は淀んでいて、
穢れを洗い流す力を持っていないと
古代の人は考えたはずです。

それは梅雨の雨もそうです。
ジメジメ、むしむしとした停滞した水では
穢れは流れ落ちません。
むしろ、穢れていきます。
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水もまた豊穣と恐怖の側面を持つ神

また、そもそも日本人にとって
「目に見えない何か」「物の怪」「神」「鬼」は、
畏怖すべきものであり、
とんでもない力を持ち、
人間を不幸にすることもありますが、
同時に、人間を豊かにする力もあります。
そういう相反する性質を併せ持つもので、
二律背反(アンビバレンツ)なものです。

つまり、穢れを生むのも、
それを洗い流すのも、「水」と考えても、
なんら不思議はなく矛盾もしないということです。
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