隼人

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隼人

漢字・読みハヤト
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概要

隼人は熊襲(クマソ)の後裔かと思われていましたが、アタ(阿多・吾田)・オオスミ(大隅)は隼人の地名で、熊襲は景行天皇の時代に出て来る部族の名前として登場するところを考慮すると、同種族で多少違う文化を持った別地域の部族・民族と考えるベキかと思われます。

履中天皇・清寧天皇・敏達天皇の時代に隼人が親衛軍として登場しています。しかし一般的には天武天皇の時代から朝廷に人員を送るようになっているので、その頃から大和朝廷に参加したとされます。

それ以前の記述が嘘か?というと、これは分かりません。九州南部に住んでいたのが隼人としても、そこに「隼人国」という大きなくくりがあったわけではなく、実際には小国がたくさんあったのでしょう。そのうちのいくつかが天武以前に大和朝廷に参加したのではないかと。もしくは友好関係があったのかもしれません。
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物語・由来

九州南部に住んでいたとされる民族。大和朝廷に従うものも居たが、従わないものもいてたびたび反乱を起こした。カムアタツヒメ(=コノハナサクヤヒメ)の「アタ(阿多・吾田)」は隼人の地名で、カムアタツヒメは隼人の巫女の神格化と思われます。

隼人の一部は「隼人司」として大和朝廷に参加し宮廷の警護を行った。日本書紀では兄(=ホデリ・ホノスソリ=隼人の先祖)が弟(=ホヲリ・ホホデミ)に従ったときに、「俳人もしくは狗人」となったと書いてあります。これを証明するように天皇が即位するときの大嘗祭では隼人は獣のように吠え、邪気悪霊を祓います。狗人という記述はこれと関係していると考えられています。

兄(=ホデリ・ホノスソリ=隼人の先祖)が弟(=ホヲリ・ホホデミ)が溺れさせられた場面があります。これも隼人が行う舞踊の中に溺れる所作があることも、この神話が元になっているとされます。

天武11年(682年)に天武天皇が隼人が朝貢して大隅の隼人と阿多の隼人が朝廷で相撲を取ったという記事があります。この時点で九州南部は大和朝廷に入っていたことになります。この相撲がどういった意味を持つのかは不明。
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