仮説:天皇の始まり…ケガレとスメラミコトと前方後円墳(天皇の始まり)

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仮説:天皇の始まり…ケガレとスメラミコトと前方後円墳(天皇の始まり)

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概要

まとめ
●スメラミコトは「清らかな人」という意味
●穢れを祓うことで天変地異を避ける役割だったのだと推測…穢れが溜まると天岩戸事件のような天変地異が発生すると古代の人は考えていた。
●スメラミコト崇神天皇が就くと、飢餓で国民の半分が死んでしまう。ここで崇神天皇は「飢餓は大物主の祟り。子孫のオオタタネコに祀らせれば解決する」という新しい天変地異の避け方を提示する。
崇神天皇は宗教の権力を握った。これが天皇の始まり。崇神天皇以前の天皇は崇神天皇から遡って「天皇」になったのではないか? それは「子孫が祀る」という価値観を提示した崇神天皇としては当然かもしれない。
●崇神天皇が居たとされる三世紀に前方後円墳が始まる。前方後円墳は方墳(祭祀場)と円墳(遺体安置所)から出来ている。
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天皇とは何か??

なぜ天皇は天皇なのか?
天皇が特別な存在である理由とは何か?
なぜ古代の日本人は天皇を特別視したのか???


天皇は古事記や日本書紀では「スメラミコト」と読みます。
スメラとは「清らか」という意味です。
「清らかな人物」という意味です。

日本人はケガレを嫌いました。
ケガレは死から生まれ、新たな死を呼ぶものです。
最初は病気を引き起こすものを穢れを
呼んでいましたが、
徐々に死に関わるものや、
罪も穢れの中に含まれるようになりました。

ケガレは祓落とすことができます。
祓い落とせば、問題は起きません。

ではケガレを払い落とさないでいるとどうなるのでしょう。
個人個人としては病気や死をもたらします。
それだけでなく、
国家としてもケガレは蓄積され、
積もり積もって、
大きな災害を引き起こします。
それが「天岩戸事件」です。
スサノオの罪が
太陽が隠れるという大事件を引き起こします。
実際にそうなるかどうかではなく、
古代の日本人はそう考えていたということです。

だから定期的にケガレを落とさないと行けません。
それが大祓の儀式です。
年に二回、6月と12月にケガレを落とします。
6月は梅雨のジメジメを祓いたい。
6月は湿度があがり、ものが腐りやすくなり食中毒が増えます。
この病気を呼ぶケガレを祓わないといけない。
12月はそれに倣ったものです。
わたしは6月の高湿度による死の恐怖と、
12月の寒さや食糧枯渇からの死の恐怖が
二つの大祓を産んだのだろうと思います。
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ケガレとスメラミコト

このケガレを祓うことは、国民の生活に関わることです。
ケガレを放置していれば、天変地異が起きるのです。

そこで、ケガレを祓う儀式をします。
その儀式を行う人物は清らかであることが前提となります。
特別な生活をした特別な人物。
それが推測するに「スメラミコト」、
後の天皇です。

スメラミコトは神ではありません。
神の機嫌を伺い、ケガレを祓い、
天変地異を避ける役職です。

スメラミコトの責任は大きい。
ところが、おそらく最初は決して権力者ではありませんでした。
神の御用聞きです。
だから、天変地異を避けられなかった場合、
能力がない、
もしくは、清らかで無かったとして、
降格、もしかすると殺されたのでしょう。
そのくらい曖昧な存在だったのではないかと思います。
大和朝廷の初期が、共和国家ではないのかと言われるほどに、中央に権力がないのは、そこにも理由があったと思われます。


しかし役割が大きいのなら徐々に権力も大きくなる。
徐々にスメラミコトの権力は大きくなりました。

神社や関連する土地

では最初のスメラミコトは神武天皇か?
というと、それは違うと思います。
何故かというと、神武天皇は武神だからです。
ケガレは死を恐れる感情です。
それが戦争をバリバリとする神武天皇に務まるとは思えない。
●中大兄皇子が蘇我氏を滅ぼした乙巳の乱の後に非常に長い皇太子時代があったのは、「手を血で汚した」からではないでしょうか?
ヤマトタケルも同様では?

では最初のスメラミコトは誰か?というと……
それは分かりません。

スメラミコトという制度が生まれたのは神武天皇とは無関係ということです。神武天皇の以前からスメラミコトは居て、神武天皇は後の子孫がスメラミコトになり成功したから、遡(サカノボ)って「神武天皇」と呼ばれるようになったのではないか?と考えています。

では神武天皇の子孫でスメラミコトになり権力を得た人物とは誰か??

崇神天皇です。

神武天皇は機内に国を起こしますが、その後7代はパッとしませんでした。欠史七代と呼ばれる天皇です。しかし崇神天皇はスメラミコトになり、権力を得ます。その経緯はこうです。

想像するに、大和朝廷のというものが、そもそも幾つもの国の共同国家でした。共同で宗教祭祀を行い、宗教を共有しました。これは中国の冊封体制を自分たちだけで真似て作ったのかもしれません。そのつながりが宗教でした。そのわかりやすいものが初期の古墳です。

祟りと祀りと前方後円墳

その宗教の教義というか世界観の中に
ケガレを祓うスメラミコトという役割があった。
崇神天皇はこの役についた。
しかし、残念な事に大きな災害が起きた。
飢饉があり、国民の半数が死んでしまう。
これを避けるためのスメラミコトです。
ケガレを祓えないスメラミコトなど無意味。
殺されてしまうかもしれない。
そこで崇神天皇はウルトラCをカマします。
災害の原因を「大物主の祟り」とし、その祟りの鎮め方…つまり、祀り方をお告げに聞いたとしたのです。そしてその通りにすると上手くいったのです。子孫に先祖を供養させることで祟りを防ぎ、良い神に転化するという手法は、当時斬新だったのでしょう。道教か儒教の影響です。これが前方後円墳という形式になったのではないか?と思われます。実際崇神天皇が生きていたと推測される三世紀に前方後円墳が出来始めています。
前方後円墳は方墳(祭祀場)と円墳(遺体安置所)という造りになっています。この「先祖を祀って祟りを防ぐ」という考えを形にしたものが前方後円墳なのでしょう。

これで上手く解決した崇神天皇は、強い権力を得ることになります。

意味合いが変われば立場も変わる

これは凄いことです。
これまでは天変地異の次第によっては、殺されてしまうかもしれませんでしたが、これからは違います。祭祀方法を提示することによって問題を避けることが出来る、殺されないで済む、どころではありません。

どこにどれだけの利益を供与するかを、スメラミコトが決められるのです。
当時は各氏族が神を祀っていましたから、奉納としてどれだけの物品を納めるか……を決められます。だから、「王」の中から「大王」と呼ばれるようになり、同時にスメラミコトでもあった、のでしょう。これが後に天皇と呼ばれるようになる存在の始まりだったと考えています。
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