楯並めて伊那佐の山の

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十有一月癸亥朔己巳(三) 楯並めて伊那佐の山の

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原文

故、聊爲御謠、以慰將卒之心焉、謠曰、

哆々奈梅弖 伊那瑳能椰摩能 虛能莽由毛 易喩耆摩毛羅毗 多多介陪麼 和例破椰隈怒 之摩途等利 宇介譬餓等茂 伊莽輸開珥虛禰

果以男軍越墨坂、從後夾擊破之、斬其梟帥兄磯城等。

現代語訳

(兵士が疲れているので)
天皇は歌を読んで謡(ウタ)を作って將卒(イクサノヒトドモ=将兵たち)の心を慰めようとしました。それで歌を歌いました。

楯(タテ)並(ナ)めて
伊那佐(イナサ)の山の
木の間ゆも い行き目守(マモ)らひ
戦へば 我はや飢む
島つ鳥 鵜養(ウカイ)が伴 今助けに来ね
歌の訳
楯を敵軍に対して並べて、
伊那佐(イナサ)の山の木々の間を行き来し、
見張りをしたり、
戦ったりしていたから
私もお腹がすいてしまった。
島の鳥、鵜飼たち。
助けに来てくれよ

それで男軍(オイクサ)は墨坂を越えて、後ろから敵軍を挟み撃ちにして撃破しました。その梟帥(タケル)である兄磯城等(エシキラ)を斬りました。
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解説

お腹がすくよね
山で戦っていたら、お腹がすいたよね。だから鵜飼のひとたちは来てくれよ、というのが内容です。どうも「食」というものが大和朝廷にとってとても大事だったのだと思われます。
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