定功行賞

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二年春二月甲辰朔乙巳 定功行賞

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原文

二年春二月甲辰朔乙巳、天皇定功行賞。賜道臣命宅地、居于築坂邑、以寵異之。亦使大來目居于畝傍山以西川邊之地、今號來目邑、此其緣也。以珍彦爲倭国造。(珍彦、此云于砮毗故。)又給弟猾猛田邑、因爲猛田縣主、是菟田主水部遠祖也。弟磯城、名黑速、爲磯城縣主。復以劒根者、爲葛城国造。又、頭八咫烏亦入賞例、其苗裔卽葛野主殿縣主部是也。

現代語訳

神武天皇が即位して二年の春二月の二日。
天皇は論功行賞(イサヲシキヲサダメタマヒモノヲオコナイタマフ=東征に貢献したものに報償を与えること)を行いました。道臣命(ミチノオミノミコト)に宅地(イエドコロ)を与えました。それは築坂邑(ツキサカノムラ=橿原市鳥屋町)で、特に道臣命の功績を評価しました。
大來目(オオクメ)には畝傍山(ウネビヤマ)の西の川原の土地に住まわせました。それで今、そこ土地を來目邑(クメノムラ)と呼ぶのはそのためです。
珍彦(ウズヒコ)は倭国造(ヤマトノクニノミヤツコ)に任じました。
珍彦は于砮毗故(ウズヒコ)と読みます。

また、弟猾(オトウカシ)に猛田邑(タケダノムラ)を与え、猛田縣主(タケダノアガタヌシ)としました。菟田主水部(ウダノモヒトリラ)の遠祖です。
弟磯城(オトシキ)は名前を黒速(クロハヤ)といいます。
弟磯城(オトシキ)を磯城縣主(シキノアガタヌシ=桜井市)に任じました。
劒根(ツルギネ)という人物を葛城国造(カヅラキノクニノミヤツコ)としました。
頭八咫烏(ヤタノカラス)にも報償がありました。頭八咫烏の子孫は葛野主殿縣主部(カズノノトノモリノアガタヌシラ)です。
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解説

珍彦は誰?
神武天皇が九州から出て直後、海で迷っていると出会ったのが「珍彦」で、海の道案内をしてくれたことから、それ以降は「椎根津彦」という名前で活躍。ここで倭国造になります。出世しましたねー。ようは会社創立から関わる古参の役員が社長から株を譲り受けるみたいな、イメージでしょうか。

あとツルギネって何だろう?
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