日本の美称

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卅有一年夏四月乙酉朔 日本の美称

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原文

卅有一年夏四月乙酉朔、皇輿巡幸。因登腋上嗛間丘而廻望国狀曰「姸哉乎、国之獲矣。(姸哉、此云鞅奈珥夜。)雖內木錦之眞迮国、猶如蜻蛉之臀呫焉。」由是、始有秋津洲之號也。昔、伊弉諾尊目此国曰「日本者浦安国、細戈千足国、磯輪上秀眞国。(秀眞国、此云袍圖莽句爾。)」復、大己貴大神目之曰「玉牆內国。」及至饒速日命乘天磐船而翔行太虛也、睨是鄕而降之、故因目之曰「虛空見日本国矣。」

現代語訳

神武天皇が即位して31年。夏4月1日。
天皇は国内を見て回りました。
腋上(ワキガミ)の嗛間丘(ホホマノオカ)に登りました。
そして国を状況を見回して言いました。
「あぁ!!!
良い国を得たものだ!
内木錦之眞迮国(ウツユウノマサキクニ)ではあるが、蜻蛉(アキツ=トンボのこと)が繋がっているようでもあるなぁ」
姸哉は鞅奈珥夜(アナニヤ)と読みます。

これが秋津洲(アキヅシマ=日本列島のこと)という名前の由来です。
昔、伊弉諾尊(イザナギミコト)が名付けて言いました。
「日本(ヤマト)は心安らかな『浦安の国』だ。
細い矛が沢山ある…
『細矛(クワシホコ)の千足(チダ)る国』だ。
磯輪上秀眞国(シワカミホツマクニ)だ。」
秀眞国は袍圖莽句爾(ホツマクニ)と読みます。

また大己貴大神(オオアナムチノオオカミ)が名付けて
「玉牆内国(タマガキノウチツクニ)」
と言いました。
饒速日命(ニギハヤヒミコト)は天磐船(アマノイワフネ)に乗って太虛(オオゾラ)を廻って、この国を見て降臨しました。饒速日命(ニギハヤヒミコト)はこの国を
「虚空(ソラ)見つ日本(ヤマト)の国」
と言いました。
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解説

日本の世界観
日本人は山から穀物の神が里に下りて来て、田畑に宿って、穀物神が実らせると考えていました。これは何も「信仰」というだけでありません。大和朝廷は米を税金のように徴収する事で国家を運営していました。米は「通貨」の性質も持っていたわけです。この稲作が大和朝廷の根幹です。この米を作るには…水耕稲作には大量の水が必要です。その水を供給するのは「山」です。山に降った雨が安定して里に水を供給するからこそ水耕稲作は成立します。よって山に囲まれていること、山があることが、良い「国」の条件です。「ヤマト=山門=山に囲まれている」という名前もこの世界観から考えると当然のことです。

そういった世界観を踏まえると
『細矛(クワシホコ)の千足(チダ)る国』の矛は「山脈」を表しています。よく矛は「武力」と言われますが、「矛」を武器として使った形跡がありません。矛はおそらく宗教的な意味しか持っていませんでした。よって、矛は比喩であって「武力」は意味していないと思われます。だからここは「細い矛のような山が沢山有る国」。それはつまり豊かな国という意味になります。

内木錦之眞迮国
木綿は木の皮を剥いでを編んだものです。つまり細い。眞迮国(マサキクニ)も、「すごく細く裂いたような国だなぁ」という意味でしょう。
蜻蛉之臀呫
はトンボがお尻を舐めているような…という意味です。トンボは秋が深まると雄と雌が合体して飛んでます。交尾です。そんなものに国を例えるなんて!と思うかもしれませんが、トンボは稲作にとっては「益虫」です。幼虫のヤゴのときは水中で害虫を食べ、トンボになってもやはり害虫を食べます。また日本のトンボは人間を恐れません。人間とトンボの共生関係が確立しているからではないでしょうか? また精霊トンボ・盆トンボという名前をつけているものいるようにトンボに死者の霊を日本人は感じていたようです。
トンボは日本人にとって良いものだからこそ、日本を比喩するときに使ったのでしょう。
磯輪上秀眞国
不明。
玉牆内国
玉垣は「宝石のように美しい垣」ですが、これは綺麗な立派な「山に囲まれている」という意味です。
虚空(ソラ)見つ日本(ヤマト)の国
ニギハヤヒは天神ですから、空も飛べるみたいです。これを読むとニギハヤヒはやはり土着の天神だったと考えるべきかと。もしくはニギハヤヒの天神という性質を後に皇統が取り入れた結果が、皇統=天神なのかもしれません。なにせ九州を出発したとき神武天皇はバリバリの海洋民族ですから。
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