安寧天皇が皇太子となり皇位につくまで

MENU
TOP>綏靖天皇~開化天皇(日本書紀)>安寧天皇(一)安寧天皇が皇太子となり皇位につくまで

安寧天皇(一)安寧天皇が皇太子となり皇位につくまで

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

現代語訳

磯城津彦玉手看天皇シキツヒコタマテミノスメラミコト安寧天皇)は神渟名川耳天皇(カムヌナカワミミノスメラミコト綏靖天皇)の嫡男です。

母は五十鈴依媛命(イスズヨリヒメノミコト)で、事代主神(コトシロヌシカミ)の娘です。安寧天皇は神渟名川耳天皇(カムヌナカワミミスメラミコト=綏靖天皇)が即位して25年のときに皇太子(ヒツギノミコ=次の天皇候補)となりました。年齢は21歳でした。

綏靖天皇が即位して33年の夏5月に神渟名川耳天皇(カムヌナカワミミスメラミコト=綏靖天皇)が崩(カムアガリ=神になって天にあがる…死ぬ事)しました。その年の7月の三日に太子(ヒツギノミコ)は皇位につきました。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

解説

太子は嫡男?
訳本などを見ると太子は嫡男とあります。嫡男は正室の子供のうちの年長者となっています。ただ、記紀を読む限りまだこの時代は末子相続か、もしくは末子相続と長子相続かハッキリしない時期なので、太子が「長男」なのかどうかは、疑問。ただ記紀には綏靖天皇には他に子供がいないので、大した問題じゃない。
記述が少ない
歴史では普通、古いものほど記述が少なくなるものなのに、神武→綏靖→安寧と記述が激減。よって綏靖天皇から開化天皇までは創作ではないか?とも。これが決史八代と言われる所以ですわ。
スポンサードリンク

原文

磯城津彦玉手看天皇、神渟名川耳天皇太子也。母曰五十鈴依媛命、事代主神之少女也。天皇、以神渟名川耳天皇廿五年、立爲皇太子、年廿一。

卅三年夏五月、神渟名川耳天皇崩。其年七月癸亥朔乙丑、太子卽天皇位。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

編集