疫病で国民の半数が死亡

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崇神天皇(四)疫病で国民の半数が死亡(日本書紀)

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原文

五年、国內多疾疫、民有死亡者、且大半矣。

六年、百姓流離、或有背叛、其勢難以德治之。是以、晨興夕惕、請罪神祇。先是、天照大神・倭大国魂二神、並祭於天皇大殿之內。然畏其神勢、共住不安。故、以天照大神、託豊鍬入姫命、祭於倭笠縫邑、仍立磯堅城神籬。神籬、此云比莽呂岐。亦以日本大国魂神、託渟名城入姫命令祭、然渟名城入姫、髮落體痩而不能祭。

現代語訳

崇神天皇即位5年。国内に疫病が多く発生して、民(オオミタカラ)の大半(ナカバスギ=半分以上)が死亡しました。

即位6年。百姓は流浪し、なかには背くものもありました。(国が荒れる)勢いはすさまじく、徳(ウツクシビ)を持って治めることは難しいほどでした。

そこで眠らず朝まで神祇(アマツカミクニツカミ=天津神国津神)に(疫病がやむように)お願いをしたのです。

これより先に、天照大神(アマテラスオオミカミ)・倭大国魂(ヤマトノオオクニタマ)の二柱の神を天皇が住む宮殿の中に並べて祀っていました。するとこの二柱の神の勢いが強くて畏れおおくて、共に住むのは落ち着かなくなりました。

そこで天照大神(アマテラスオオミカミ)を豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト崇神天皇の娘)を付けて、倭の笠縫邑(カサヌイムラ)に祀りました。そして磯堅城(シカタキ=地名か施設名かは不明)に神籬(ヒモロキ=神が降りる場所。後には神社を表す)を立てました。
神籬は比莽呂岐(ヒモロキ)といいます。

日本大国魂神(ヤマトオオクニタマノカミ)は渟名城入姫(ヌナキノイリヒメ=崇神天皇の娘)を付けて祀りました。しかし渟名城入姫は髪が抜け落ちて祀ることが出来ませんでした。
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解説

託けて
天皇の娘には神を祭る「役割」があります。日本書紀には「託」という字をあてて、「天照大神を豊鍬入姫命を託(ツ)けて」としています。
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