大田々根子命を探し出す

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崇神天皇(七)大田々根子命を探し出す(日本書紀)

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原文

秋八月癸卯朔己酉、倭迹速神淺茅原目妙姫・穗積臣遠祖大水口宿禰・伊勢麻績君、三人共同夢而奏言「昨夜夢之、有一貴人誨曰『以大田々根子命爲祭大物主大神之主、亦以市磯長尾市爲祭倭大国魂神主、必天下太平矣。』」天皇、得夢辭、益歡於心、布告天下、求大田々根子、卽於茅渟縣陶邑得大田々根子而貢之。天皇、卽親臨于神淺茅原、會諸王卿及八十諸部、而問大田々根子曰「汝其誰子。」對曰「父曰大物主大神、母曰活玉依媛。陶津耳之女。」亦云「奇日方天日方武茅渟祇之女也。」天皇曰「朕當榮樂。」乃卜使物部連祖伊香色雄爲神班物者、吉之。又卜便祭他神、不吉。
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現代語訳

(即位7年)秋8月7日。倭迹速神淺茅原目妙姫(ヤマトトハヤカミアサヂハラマクハシヒメ)と穗積臣(ホヅミノオミ)の遠祖の大水口宿禰(オオミクチスクネ)と伊勢麻績君(イセノオミノキミ)の三人が同じ夢を見て、天皇に報告しました。
「昨夜、夢を見ました。
一人の高貴な人がいまして、教えてくれました。
『大田々根子命(オオタタネコノミコト)に大物主を祀る主(カムヌシ)として市磯長尾市(イチシノナガオチ)を倭大国魂神(ヤマトノオオクニタマノカミ)を祀る主(カムヌシ)すれば、必ず天下太平となる』と(夢の中の高貴な人は)言いました」
天皇は夢の辞(コトバ)を得て、ますます喜びました。
布(アマネ)く天下(アメノシタ)に命じて、大田々根子(オオタタネコ)を探すと、すぐに茅渟縣(チヌノアガタ)の陶邑(スエムラ=和泉国大鳥郡陶器荘…大阪府堺市陶器山の西)に大田々根子(オオタタネコ)を見つけました。天皇はすぐに自ら神淺茅原(カムアサジハラ)に出向いて、諸王卿(オオキミタチマツヘツキミタチ=王さま達)と八十諸部(ヤソモロトモノオ=沢山の「伴」の主張)が集まって、大田々根子(オオタタネコ)に尋ねました。
「お前は、誰の子か?」
大田々根子(オオタタネコ)は答えました。
「父は大物主大神(オオモノヌシノオオカミ)といいます。
母は活玉依媛(イクタマヨリヒメ)といいます。
(活玉依媛は)陶津耳(スエツミミ)の娘です」
また言いました。
「奇日方天日方武茅渟祇(クシヒカタアマツヒカタタケチヌツミ)の娘です」
天皇はいいました。
「わたしは、栄えるだろう」
すぐに物部連(モノノベノムラジ)の祖先の伊香色雄(イカガシコオ)を神班物者(カミノモノアカツヒト=神に捧げるものを分ける人)にしようと占うと「吉」と出ました。
ついでに他の神を祀ろうかと占うと「吉」と出ませんでした。
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解説

オオタタネコの系譜は古事記と違う?
古事記の系譜は
「私はオオモノヌシ神が陶津耳命(スエツミミ)の娘である活玉依毘売(イクタマヨリビメ)を娶って産んだ櫛御方命(クシミカタノミコト)の子の飯肩巣見命イヒカタスミノミコト)の子の建甕槌命(タケミカヅチノミコト)の子のオオタタネコです」

古事記では大物主がスエツミミの娘のイクタマヨリヒメを娶って…となっているのに対して日本書紀では大物主がイクタマヨリヒメ(スエツミミの娘)を娶ってその娘がオオタタネコ…となっています。

いやいや、これ違ってないんじゃない?
「父は大物主大神(オオモノヌシノオオカミ)といいます。
母は活玉依媛(イクタマヨリヒメ)といいます。
陶津耳(スエツミミ)の娘です」
また言いました。
「奇日方天日方武茅渟祇(クシヒカタアマツヒカタタケチヌツミ)の娘です」

もしかしたら、大物主とイクタマヨリヒメの間の子が奇日方天日方武茅渟祇で、その娘がオオタタネコとなるのでは??

奇日方天日方武茅渟祇
一般的には奇日方天日方武茅渟祇は陶津耳(スエツミミ)の別名とされますが、奇日方天日方武茅渟祇も古事記の「櫛御方命(クシミカタノミコト)・飯肩巣見命イヒカタスミノミコト)・建甕槌命(タケミカヅチノミコト)」を合わせた名前じゃないでしょうか??

これってちょっとしたことですが、結構大きい。記紀で記述が違うんじゃなくて、記述方法が違うだけなんじゃないか?と思うんですよね。
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