宝蔵(埃宮)

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宝蔵(埃宮)

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説明書き

この宝蔵は明治7年(1874)の多家神社創建に際して移築された広島城三の丸稲荷社の社殿の一棟である。校倉造(アゼクラヅクリ)と呼ばれる建築様式で、太い材木(校木)を四方に組み上げて壁とする建築方法である。柱はなく、壁が桧皮葺の屋根を支えており、通気性がよく、宝物の保存に適している。一般的な校倉造で組み上げる校木に三角形に近い五角形の材を使うは、この校倉は四角形に近い六角形の材を用いている。これは「信貴山縁起絵巻(シンギサンエンギエマキ)」に描かれているものと同じであるが、現存する校倉では他に例が無い。江戸時代後期の校倉の好例であるといえる。
この宝蔵は収蔵されている神輿や校木形状の希少性だけでなく、現存する数少ない広島城の建築物としても重要である。

府中教育委員会
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