継体天皇(日本書紀)
投稿:2015年07月20日 更新:2015年07月20日スポンサードリンク
要約
武烈天皇即位8年12月 武烈天皇崩御。この時、継体天皇57歳。後継がいなくなったので仲哀天皇の5世孫の倭彦王を迎えに行くが逃げられる。継体天皇即位1年1月 大伴金村大連たちは継体天皇を迎えようとするが、すぐには即位しなかった。河内馬飼首荒籠に説得された即位。樟葉宮へ。
即位1年2月 継体天皇即位。皇后を迎えるように説得される。
即位1年3月 手白香皇女(仁賢天皇の娘)を皇后に。8人の妃と結納。
即位2年12月 耽羅人(=済州島)が百済とともに来日。
即位3年2月 使者を百済に派遣。百済の戸籍を整備する。
即位5年10月 山背の筒城へ遷都。
即位6年4月 穂積臣押山を百済へ使者として送る。
即位6年12月 百済が貢物を献上。百済が任那の土地を請求した。朝廷は土地を百済に割譲することを決定。物部大連麁鹿火が使者として百済に伝えようとするが、妻に「伝えなければいい」と説得され、伝えなかった。しかし結局、割譲された。大伴金村と穗積臣押山は賄賂をもらったのではないかと噂が立つ。
即位7年6月 百済から五経博士の段楊爾が献上される。百済は伴跛国が己汶という土地を奪ったから取り返してほしいと日本に求める。
即位7年8月 百済の太子の淳陀が死亡。
即位7年9月 勾大兄皇子(=安閑天皇)が春日皇女を娶る。
即位7年11月 百済に己汶・帶沙を与える。伴跛国が貢物をして己汶を求めたが与えなかった。
即位8年1月 春日皇女のために匝布屯倉を設置する。伴跛が城を築いて新羅に攻めた。
即位9年2月 百済の文貴將軍が物部連を連れて帰国。伴跛人が新羅から去る。
即位9年4月 物部連が帯沙江に滞在していると、伴跛人が逆襲に来た。物部連は汶慕羅に逃げる。
即位10年5月 百済の前部木刕不麻甲背を派遣して、物部連を己汶で合流、百済に帰国。
即位10年9月 五経博士の漢高安茂を献上し、段楊爾と交換するよう申し出る。百済と高麗の使者が朝廷に来た。
即位12年3月 山城の弟国に遷都。
即位17年5月 百済の武寧王が死亡。明が即位。
即位20年9月 磐余の玉穂に遷都。
即位21年6月 磐井の乱。九州の磐井が新羅と結んで反乱を起こす。
即位21年8月 物部麁鹿火が乱の鎮圧へ。
即位22年11月 磐井を誅殺。
即位22年12月 磐井の子の筑紫君葛子は獻糟屋屯倉を献上して死罪を免れる。
即位23年3月 百済が朝貢するために海路を安定させるよう申し入れる。
即位23年3月 加羅の国の港を百済に与えようとしたが、加羅王に断られる。結局別の港を百済に与えたために、加羅は日本を恨む。加羅王は新羅王の娘を娶り、新羅と結んで日本と対抗しようとするが、結局揉める。安羅に高堂を立てる。高堂で百済の将軍をハブって協議をした。それを将軍が恨む。
即位23年4月 任那王の己能末多干岐が「新羅が任那を侵略している!助けて!」と請願。新羅王と百済王を呼び寄せて和解させようとするが、使者を送って王が来なかった。この地域で兵が略奪を行い、混乱に陥る。和解は失敗。
即位23年9月 巨勢男人大臣が死亡。
即位24年9月 任那の使者が毛野臣が怠けていると申し出る。天皇が毛野臣を呼び寄せるが、いろいろと理由をつけて朝廷に出向かない。阿利斯等(=加羅王)は新羅と百済に兵を要請するが、攻めきれなかった。
即位24年10月 調吉士が任那での毛野臣の失政を報告。毛野臣は対馬で表紙。
即位25年2月 継体天皇が磐余玉穂宮で崩御(82歳)
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