允恭天皇(日本書紀)

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允恭天皇(日本書紀)

投稿:2015年05月22日 更新:2015年05月22日
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要約

即位1年12月 群臣のすすめを断っていたが、妃の忍坂大中姫命に促されて天皇に即位。
即位2年 夫が即位する前に妃の忍坂大中姫命に無礼なことを言った人を探し出して降格させる。
即位3年1月 病気の天皇のために新羅で医者を探し、病気を治療する。医者は帰国する。
即位4年9月 氏姓を正す詔を出す。盟神探湯を行い、氏姓を正す。
即位5年7月 地震発生。尾張連吾襲が反正天皇の殯に壊れてないかと視察に行くと、居るはずの玉田宿禰がいなかった。次に視察すると玉田宿禰が宴会をしていた。口止料を出したが玉田宿禰は尾張連吾襲を殺害し、武内宿禰の墓に隠れた。天皇が玉田宿禰を呼び出してみると、服の下に鎧を着込んでいた。天皇は玉田宿禰を誅殺した。
即位7年12月 宴会で皇后は妹の衣通郎姫を献上するよう約束させられる。衣通郎姫は皇后の気持ちを汲んで、呼ばれても参上しなかったが、中臣烏賦津使主が7日土下座して頼んだことでついに都へ向かうことになる。一方、皇后は天皇が衣通郎姫にここを奪われ、雄略天皇を出産してやっと皇后に会いに行く程度。ついにキレて、天皇が反省する。
即位8年2月 天皇が皇后のいる藤原に行く。同時に衣通郎姫とも会い、恋の歌を交わす。それで皇后がまた切れる。河内の茅渟に衣通郎姫を住まわせる。
即位9年2月 茅渟宮へ。
即位9年8月 茅渟宮へ。
即位9年10月 茅渟宮へ。皇后が民が迷惑しているから茅渟宮に行くなと進言して茅渟宮に行く回数が減る。
即位11年3月 茅渟宮へ。恋の歌を交わす。衣通郎姫のために藤原部を作る。
即位14年9月 淡路島に行く。島に獣が溢れているのに狩りが上手くいかないので、占ってみると、赤石の海に真珠があり、それを祭れば獣が取れるという。アワビを男狹磯が引き上げてみると真珠があった。男狹磯は死んでしまった。
即位23年3月 木梨軽皇子と軽大娘皇女が兄妹の恋に落ちる。
即位24年6月 汁物が凍っていて、占うと「近親相姦があった」と出る。軽大娘皇女を伊予に流す。
即位42年1月 允恭天皇が崩御(年齢は不明)。
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「允恭天皇(日本書紀)」のページ一覧

Page1 允恭天皇(一)雄朝津間稚子宿禰皇子は天皇位を拒否する
Page2 允恭天皇(二)大中姫命は大王に手洗水を
大中姫命は大王に手洗水を
Page3 允恭天皇(三)鬪鶏国造の暴言、蘭を一茎
鬪鶏国造の暴言、蘭を一茎
Page4 允恭天皇(四)新羅の医者が天皇の病を治す
新羅の医者が天皇の病を治す
Page5 允恭天皇(五)氏姓の間引き
氏姓の間引き
Page6 允恭天皇(六)盟神探湯によって氏姓は定められた
盟神探湯によって氏姓は定められた
Page7 允恭天皇(七)玉田宿禰の酒宴と尾張連吾襲の殺害
玉田宿禰の酒宴と尾張連吾襲の殺害
Page8 允恭天皇(八)小墾田采女は玉田宿禰の鎧を報告する
小墾田采女は玉田宿禰の鎧を報告する
Page9 允恭天皇(九)娘子を奉る…という礼事を言わない皇后
娘子を奉る…という礼事を言わない皇后
Page10 允恭天皇(十)弟姫は近江坂田で天皇の申し出を拒絶
弟姫は近江坂田で天皇の申し出を拒絶
Page11 允恭天皇(十一)弟姫の説得成功。倭の春日の櫟井へ
Page12 允恭天皇(十二)皇后の出産の日に藤原に行く
Page13 允恭天皇(十三)藤原宮での逢瀬と歌、河内の茅渟への引っ越し
藤原宮での逢瀬と歌、河内の茅渟への引っ越し
Page14 允恭天皇(十四)毛の先ほども弟姫を妬んでいませんが……
毛の先ほども弟姫を妬んでいませんが……
Page15 允恭天皇(十五)奈能利曾毛と藤原部
奈能利曾毛と藤原部
Page16 允恭天皇(十六)淡路嶋の神の祟りと男狹磯
淡路嶋の神の祟りと男狹磯
Page17 允恭天皇(十七)木梨軽皇子と軽大娘皇女の悲恋
木梨軽皇子と軽大娘皇女の悲恋
Page18 允恭天皇(十八)親々相姧のために娘皇女は伊予へ
親々相姧のために娘皇女は伊予へ
Page19 允恭天皇(十九)崩御と新羅の弔問団の来日
Page20 允恭天皇(二十)うねめはや、みみはや…で誤解されて
うねめはや、みみはや…で誤解されて
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