木梨軽皇子と軽大娘皇女の悲恋

MENU
TOP>允恭天皇(日本書紀)>允恭天皇(十七)木梨軽皇子と軽大娘皇女の悲恋
スポンサードリンク

允恭天皇(十七)木梨軽皇子と軽大娘皇女の悲恋

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

原文

廿三年春三月甲午朔庚子、立木梨輕皇子爲太子、容姿佳麗、見者自感、同母妹輕大娘皇女亦艶妙也。太子恆念合大娘皇女、畏有罪而默之、然感情既盛、殆將至死。爰以爲、徒空死者、雖有罪、何得忍乎。遂竊通、乃悒懷少息、因以歌之曰、
阿資臂紀能 椰摩娜烏菟勾利 椰摩娜箇彌 斯哆媚烏和之勢 志哆那企貳 和餓儺勾菟摩 箇哆儺企貳 和餓儺勾菟摩 去鐏去曾 椰主區泮娜布例

現代語訳

即位23年春3月7日。木梨軽皇子(キナシノカルノミコ)を太子としました。容姿(カオカタチ)は佳麗(キラギラシ=美しい)。皇子を見た人は自然と愛情を持ちました。同母妹(イロモ)の軽大娘皇女(カルノオオイラツメノヒメミコ)もまた艶妙(カオヨシ=顔良し=美人)でした。太子は常に大娘皇女を狙っていました。しかし、近親相姦になることから恐れて黙っていました。しかし、愛する気持ちは抑えられず、もはや死んでしまうかと思うほどでした。このまま空しく死んでしまうくらいならば罪深いと分かっていても、どうして我慢できるだろうか、と思うようになりました。ついには密かに姦通してしまいました。その罪悪感で塞ぎ込んで少し病みました。それで歌を歌いました。
あしひきの 山田を作り 山高み 下桶(シタビ)を走(ワシ)せ 下泣きに 我が泣く妻 片泣きに 我が泣く妻 今夜(コゾ)こそ 安く肌(ハダ)触れ
歌の訳(あしひきは山の枕詞)山に田を作る。山が高く、下に水路(=桶)を走らせた。その水路のように見えないように泣きながら会いに行く私、私を恋しく思い泣いている妻、今夜こそは安らかに肌に触れよう。
補説前半の「下桶を走らせる」というところまでは「下泣き」を説明するための文章。隠れて会わなくちゃいけない悲恋を、地上からは見えない「水路(下桶)」と重ねています。

スポンサードリンク

解説

農業とラブソング
これらの歌は実際に軽皇子が歌った歌ではなく、歌があり、それを物語にはめ込んだと考えるべきでしょう。もしも軽皇子がこの歌を歌ったとなると、軽皇子は普段から農作業をしていないと辻褄が合わないのです。田んぼの水路に自分の恋愛事情を重ね合わせるなんて、皇子がするとは思えない。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

スポンサードリンク

管理人リンク

編集