天智天皇(日本書紀)
投稿:2016年01月15日 更新:2016年01月15日スポンサードリンク
要約
斉明天皇即位7年7月 唐の蘇定方と突厥の契苾加力が高麗の城下に到着。中大兄皇子が長津宮に移る。斉明天皇即位7年8月 阿曇比邏夫連などを派遣して百済を救援しようとした。
斉明天皇即位7年9月 長津宮で中大兄皇子が豊璋に冠を授ける。多臣蔣敷の妹を妻に。狹井連檳榔などを5000人をつけて百済に派遣。豊璋を鬼室福信が迎える。
斉明天皇即位7年12月 高麗が唐の侵略を退ける。
斉明天皇即位7年 播磨国司の岸田臣麻呂が宝の剣を献上。百済の加巴利浜で火を焚くと、灰が穴になり鳴鏑のように鳴った。これを高麗と百済が滅ぶ兆候だとした。
天智天皇即位1年1月 鬼室福信に援助。
天智天皇即位1年3月 百済に布を与えた。唐と新羅が高麗を征伐。高麗は大和朝廷に救援を要請。将軍を派遣してなんとか食い止める。
天智天皇即位1年4月 ネズミが馬の尾で子を産む。これを高麗が破れて日本に服属すると判断した。
即位1年5月 阿曇比邏夫連が豊璋を百済へ送る。百済を復興。
即位1年6月 百済は達率万智を派遣し献上した。
即位1年12月 百済の豊璋・福信が狹井連と合議。部下の進言を聞かず、都を移動させる。
即位2年2月 百済は達率金受を派遣して献上。新羅が百済に侵略し、結局都を元の州柔に戻す。
即位2年3月 日本が上毛野君稚子と27000人を派遣して新羅を討たせる。
即位2年5月 犬上君が高麗に行くと、そこで福信の罪を聞く。
即位2年6月 上毛野君稚子たちが新羅の城を取る。百済の豊璋は福信の手のひらに穴を開けて革で縛って捕らえて、結局処刑した。首は酢漬けにして保存。
即位2年8月 福信の死を受けて新羅が都を取ろうとする。日本から救援1万人が来ることになっていると豊璋が言う。新羅が百済の都を包囲。唐は170隻の船で白村江に陣を張る。27日に日本と唐の船が出会って戦争になる。日本敗北。28日日本が乱れた兵で戦うが破れ続ける。百済の豊璋は高麗へと逃げる。
即位2年9月 百済の都の州柔城が降伏。百済の滅亡。百済の人々が日本に逃げる。
即位3年2月 天智天皇は大海人皇子に冠位を改めるように命じる。
即位3年3月 百済王の善光王が難波に。星が都の北に落ちる。地震。
即位3年5月 百済の劉仁願は郭務悰を派遣し献上した。蘇我連大臣が死亡。
即位3年6月 嶋皇祖母命(=天智天皇の祖母)が死亡。
即位3年10月 中臣鎌足が智祥を派遣して郭務悰に品物を与えた。郭務悰と宴会。高麗の大臣蓋金が死亡。
即位3年12月 郭務悰が帰国。淡海国の報告。
即位3年 対馬嶋・壱岐嶋・筑紫国に防人を置く。筑紫に水城を設置。
即位4年2月 間人大后(孝徳天皇の后・天智天皇の妹)が死亡。百済の官位を調べて、日本の位を授ける。百済の百姓四百人が近江国の神前郡に移住。
即位4年3月 間人大后のために330人が出家。百済人に田を与えました。
即位4年8月 長門・筑紫に築く。済州島から使者が来る。
即位4年9月 唐が使者を日本に派遣。
即位4年10月 菟道で検閲。
即位4年11月 唐の使者の劉徳高と宴会。
即位4年12月 劉徳高に品物を与えた。劉徳高が帰国。この歳、小錦守君大石を唐に派遣。
即位5年1月 高麗が使者の前部能婁を派遣して調を献上。済州島が王子の姑如を派遣して貢ぎ物を献上。
即位5年3月 皇太子(=天智天皇)が佐伯子麻呂連に病状を尋ねる。
即位5年6月 高麗の使者の前部能婁が帰国。
即位5年7月 洪水。
即位5年10月 高麗が乙相奄鄒を派遣して調を献上。
即位5年 この年に都のネズミが近江に向かって言った。百済の男女二千人を東国(=関東)に移住させる。倭漢沙門智由は指南車を献上。
即位6年2月 斉明天皇(=皇極天皇)と間人皇女を合葬する。大田皇女を近くの墓に埋葬する。皇太子(=天智天皇)が言うには「斉明天皇の遺言で昔ながらの大きな墓を作らなかった。永遠にそうしましょう」
即位6年3月 近江に遷都。ただし百姓は遷都を嫌がり、批判した。
即位6年6月 葛野郡が白いツバメを献上。
即位6年7月 済州島が使者を派遣して貢ぎ物を献上。
即位6年8月 皇太子が大和の都へ。
即位6年10月 高麗の長男の男生が中国へ亡命。
即位6年11月 百済の劉仁願が部下を筑紫都督府に送る。高安城・屋嶋城・金田城を築く。
即位6年閏11月 椽磨(済州島)に援助を行う。
即位7年1月 天智天皇が即位。内裏で宴会した。博徳が服命。
即位7年2月 倭姫王を皇后に。蘇我山田石川麻呂の娘の遠智娘も嫁いで大田皇女・鸕野皇女(のちの持統天皇)・建皇子を産んだ。阿倍倉梯麻呂の娘も嫁いだ。蘇我赤兄の娘も嫁いだ。伊賀采女宅子娘も嫁いで大友皇子を産んだ。
即位7年4月 百済が調を献上。
即位7年5月 天智天皇が蒲生野で猟りをした。大海人皇子やその他の家臣たちが従った。
即位7年6月 伊勢王とその弟が1日違いで死亡。
即位7年7月 高麗が調を献上。風と波が強くて帰国できなかった。近江国が武を習う。牧場を作り、馬を放つ。越国が燃える土と燃える水を献上。宴会会場で魚が集まる。蝦夷と宴会した。舎人に命じて宴会をした。その時代の人は「天皇は天命を終わらせようとしているのか?」と言った。
即位7年9月 新羅が調を献上。中臣鎌足が新羅の使者に船を与えた。
即位7年10月 唐が高麗を滅ぼす。
即位7年11月 日本は新羅王に品を与え、部下を派遣する。道行が草薙剣を盗んで新羅に逃げるが、途中で迷う。
即位8年1月 蘇我赤兄を筑紫率に任命。
即位8年3月 耽羅は王子の久麻伎を派遣して貢ぎ物を献上。耽羅に五穀の種子を与える。
即位8年5月 天智天皇が山科野で猟りを。大海人皇子と臣下たちが従って行きました。
即位8年8月 天智天皇が高安嶺に城を作ろうとしたが、労役が厳しいから止めた。鎌足の家に落雷があった。
即位8年9月 新羅が使者を派遣して調を献上。
即位8年10月 天智天皇が病に伏せる中臣鎌足に見舞いに行く。藤原姓を与える。鎌足が死亡。
即位8年12月 大蔵が火災に。この冬に高安城を作ったことで田税を徴収した。斑鳩寺が火災にあった。この年、河内直鯨を唐に使者として送る。余自信・鬼室集斯を近江国蒲生郡に移住させた。唐が郭務悰と2000人を派遣した。
即位9年1月 宮で大射の儀式をした。マナーを規定し、妄言などを禁じた。
即位9年2月 戸籍を作る。長門城1つ、筑紫城2つを築いた。
即位9年3月 山御井で御幣を捧げた。中臣金連が祝詞をあげた。
即位9年4月 法隆寺に火災。
即位9年5月 奇妙な童謡が歌われる。
即位9年6月 村で「申」の字が記してある亀が見つかる。
即位9年9月 阿曇連頰垂を新羅に派遣。
即位9年 この年、水碓を作って治鉄をする。
即位10年1月 賀正の儀式。大友皇子が太政大臣に。蘇我赤兄が左大臣。太皇弟が詔して、冠位・法度を施行。大赦する。高麗が貢調する。百済が表を献上する。百済の臣たちに冠位を授ける。また動揺を歌う。
即位10年2月 百済が貢調する。
即位10年3月 黄書造本実が水臬を献上する。常陸国は中臣部若子を献上する。
即位10年4月 漏剋が新しい台に置かれ、鐘鼓が鳴った。筑紫で8つ足の鹿が生まれて死んだ。
即位10年5月 天智天皇が皇太子と臣と宴会をする。
即位10年6月 百済の使者が軍の要請をする。百済は貢調をする。栗隈王を筑紫率に。新羅は貢調する。
即位10年7月 唐の李守真が百済の使者と帰る。
即位10年8月 高麗の可婁たちが帰国。蝦夷と宴会。
即位10年9月 天智天皇が病気に。
即位10年10月 新羅が貢調する。内裏で仏の開眼式。法興寺の仏に宝が奉られる。
即位10年10月 天皇の病気が悪化。皇太弟(のちの天武天皇)を呼び出して、即位を求めるが皇太弟は固辞。皇太弟は皇后か大友皇子に譲って欲しいと言い、出家する。皇太弟は吉野へ。
即位10年11月 対馬から筑紫に郭務悰ら2000人が74隻の船に乗って朝鮮の比智嶋に来て、来日しようとしているが、通告していないと驚いて襲うだろう考え、あらかじめ朝廷に使者を派遣しようとしている、と情報が来る。大友皇子は内裏で蘇我赤兄たちと泣いて誓いを立てる。近江宮に火災。大蔵省から出火。天智天皇の前で蘇我赤兄たちが誓う。新羅が貢物を持って来る。
即位10年12月 天智天皇が崩御。殯をする。動揺が歌われる。新羅の使者が帰国。讃岐の山田郡で四つ足の雛が生まれる。8つの鼎が鳴いた。
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