スポンサードリンク
天智天皇(二十六)即位
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket原文
七年春正月丙戌朔戊子、皇太子卽天皇位。(或本云、六年歲次丁卯三月卽位。)壬辰、宴群臣於內裏。戊申、送使博德等服命。
現代語訳
即位7年春1月3日。皇太子が天皇に即位しました。
1月7日。群臣(マヘツキミタチ)と内裏で宴(トヨノアカリ=即位に祝いの宴会)しました。
1月23日。送迎の使者の博徳(ハカトコ)たちが服命(カエリコトモウス=仕事の報告)しました。
ある本によると、即位6年の丁卯年(667年)の3月に即位したと言います。
1月7日。群臣(マヘツキミタチ)と内裏で宴(トヨノアカリ=即位に祝いの宴会)しました。
1月23日。送迎の使者の博徳(ハカトコ)たちが服命(カエリコトモウス=仕事の報告)しました。
解説
天智天皇は皇太子のままで7年間、天皇の仕事をしていました。ここでやっと即位です。注釈には即位6年の時点で、天皇に即位したと書いてありますが、どっちにしても特殊な状態なことに変わりはありません。
スポンサードリンク
SNSボタン
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocketページ一覧
天智天皇(日本書紀)の表紙へ
- Page22 天智天皇(二十二)斉明天皇と間人皇女を小市岡上陵に合葬
- Page23 天智天皇(二十三)近江への遷都・童謡と失火
- Page24 天智天皇(二十四)耽羅の貢・高麗の男生が大唐へ
- Page25 天智天皇(二十五)劉仁願の使者・高安城と屋嶋城と金田城を築く
- Page26 天智天皇(二十六)即位
- Page27 天智天皇(二十七)后妃と子息氏女
- Page28 天智天皇(二十八)百済の末都師父の派遣・蒲生野の猟・伊勢王の死
- Page29 天智天皇(二十九)栗前王は越へ・牧場・多すぎる宴会
- Page30 天智天皇(三十)金東厳の来日と調の献上
スポンサードリンク