皇極天皇(日本書紀)

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皇極天皇(日本書紀)

投稿:2015年11月22日 更新:2015年11月22日
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要約

舒明天皇即位2年 のちの皇極天皇は皇后に。
舒明天皇即位13年 舒明天皇が崩御。
皇極天皇即位1年1月 即位。阿曇連比羅夫が帰国。百済は乱れていると報告あり。
即位1年2月 阿曇山背連比良夫・草壁吉士磐金・倭漢書直県を百済に派遣。豊璋の弟の塞上の悪さ。高麗の使者が難波に停泊。高麗も乱れている。大王が殺され、弟王の子が王に。津守連大海を高麗へ、国勝吉士水鶏を百済に、草壁吉士眞跡を新羅に、坂本吉士長兄を任那に使者として送る。
即位1年3月 雲もなく雨が降る。新羅が即位の祝いと葬儀の使者を送る。長雨があった。
即位1年4月 蘇我蝦夷が百済の王子の翹岐を呼び、話し合う。塞上は呼ばなかった。長雨があった。
即位1年5月 翹岐と射猟。百済の使者が難波に。翹岐の従者が死亡。翹岐の子が死亡。子の葬儀に参列しなかった。稲が熟す。翹岐が大井に移住。
即位1年6月 小雨が降る。日照りがある。
即位1年7月 客星が月に入る(不吉)。百済の使者の智積と宴会。翹岐の前で相撲を取る。蘇我入鹿の従者が白い雀を捕らえる。臣たちが話し合う。「神を祀っても天変地異(日照り)が収まらない」。すると蘇我蝦夷は仏教儀式(御経を読む)を行えば治ると言う。儀式を行うが、雨が降らない。
即位1年8月 天皇が南淵で拝むと雨が降る。徳のある天皇と民が喜ぶ。百済の使者が帰る。船を与えた。風が吹いて使者の船は壊れる。百済の人質に官位を与える。
即位1年9月 百済大寺の造営。近江と越から労働者を徴収。船舶も作らせる。天皇は宮を作ろうと材木と労働者を徴収。越の蝦夷数千人が帰属。
即位1年10月 8日地震。9日地震。蝦夷と宴会。蘇我蝦夷が蝦夷を家に迎えて宴会。新羅の弔いと即位祝いの使者が壱岐島に停泊。24日地震。雲もなく雨が降った。
即位1年11月 大雨と雷。西北で雷1回。西北で雷5回。春のように暖かい。北で雷1回。新嘗祭を行う。
即位1年12月 春のような気温。雷が昼に5回、夜に2回鳴る。舒明天皇の葬儀。東北で雷3回。東で雷2回。小墾田宮に遷都。雷が1回。春のように暖かい。
即位1年 この年に蘇我蝦夷は葛城に高宮を立て、八佾之儛を踊り、歌を歌う。また大小二つの墓を作り、大きい方を蘇我蝦夷、小さい方を蘇我入鹿の墓とした。それを聞いて聖徳太子の娘が怒る。
即位2年1月 五色の雲が立つ。大風が吹く。桃の花が咲く。アラレが降流。冬の儀式で国内の神官たちが蘇我蝦夷の先を争って言葉をかけた。
即位2年3月 百済の使者が止まる家が火災。霜で花が痛む。みぞれが降る。
即位2年4月 大風と雨。寒い。西風が吹き、アラレが降る。寒い。太宰府から百済の翹岐が来日したと報告。天皇は飛鳥板蓋新宮に移動。近江で一寸のアラレが降る。
即位2年5月 日蝕。
即位2年6月 太宰府から「高麗の使者が来た」と報告。高麗は長いこと朝貢していないのになぜ? 百済の使者の船が難波に停泊。
即位2年7月 百済の献上品を検査。これまでより少ないし、これまでと違うことが問題になる。この月に茨田池がくさくなり、虫が発生。
即位2年8月 茨田池の水が藍の汁ような色になり、虫が浮かび、水が凝固し、魚が死んだ。
即位2年9月 舒明天皇を忍坂陵に葬る。吉備嶋皇祖命(=皇極天皇の母)が死亡。土師娑婆連猪手に吉備嶋皇祖命の喪を仕切らせる。皇極天皇は吉備嶋皇祖命を看病した。吉備嶋皇祖命を檀弓岡に葬る。大雨とあられが降った。吉備嶋皇祖命の墓の労役をやめる。茨田池の水が白くなる。
即位2年10月 朝堂で宴会。蘇我蝦夷が病気で朝廷に参上しない。蘇我入鹿に紫の冠を授けた。入鹿の弟の物部大臣がいた。大臣の祖母は物部弓削大連の妹でその財力で世に恐れられた。蘇我入鹿が独断で山背大兄王子を捨てて、古人大兄(=舒明天皇
)を天皇にしようと画策する。茨田池の水が綺麗になる。
即位2年11月 蘇我入鹿が巨勢徳太臣と土師娑婆連に命じて斑鳩の山背大兄王を襲わせる。山背大兄王は妃と子供を連れて肝駒山に隠れる。蘇我入鹿が自ら山狩をしようとすると古人皇子が止める。山背大兄王は自殺する。蘇我蝦夷は入鹿の行為に怒る。百済の余豊が蜜蜂を持ち込むが蜜蜂は増えなかった。
即位3年1月 中臣鎌子が神祇伯に。最初は拒否していたが、軽皇子(孝徳天皇)に親切にされて結局受ける。中臣鎌子が中大兄皇子と法興寺で蹴鞠をして仲良くなり、一緒に儒教の勉強をする。中大兄皇子は蘇我倉山田麻呂の娘を妃として後見人とする。しかし娘が奪われる。妹が妃となる。
即位3年3月 フクロウが蘇我蝦夷の蔵に子を産む。菟田山のキノコの話。
即位3年6月 連理の枝になっているユリを大伴馬飼連が献上。志紀上郡の報告によると三輪山の猿を捕まえたら歌を歌った。歌の内容が山背大兄王の自殺の兆候だったか? 剣池の蓮に一本の茎に花が咲いていた。蝦夷は蘇我氏が栄える兆しだと考えて、金の墨で書いて、法興寺の仏に献上した。神官が儀式をして蘇我蝦夷に言葉をかける儀式があった。
即位3年7月 東国の大生部多が虫(アゲハチョウ)を祀るように勧める。秦造河勝がその新宗教を弾圧した。
即位3年11月 蘇我蝦夷と入鹿が甘檮岡に家を二つ並べて立て、まるで天皇のように振る舞い、武装した。
即位4年1月 猿が吠えるような声がするが何もいない。伊勢大神の使者だと噂した。
即位4年4月 高麗の僧によると、鞍作得志が虎から術を習い、病気を治癒する針を手に入れるが、虎に盗まれ、高麗に毒殺された。
即位4年6月 中大兄皇子は倉山田麻呂臣と蘇我入鹿の暗殺を計画。乙巳の変により蘇我入鹿死亡。古人大兄は「韓人が蘇我蝦夷を殺した」と発言。蘇我蝦夷は天皇記・国記・珍宝を焼いたが、船史恵尺が国記を取り、中大兄に献上した。皇極天皇が軽皇子(孝徳天皇)に譲位。中大兄皇子が皇太子に。
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「皇極天皇(日本書紀)」のページ一覧

Page1 皇極天皇(一)出自
Page2 皇極天皇(二)蝦夷を大臣に・入鹿の勢い・朝鮮半島の事情
Page3 皇極天皇(三)蘇我蝦夷は畝傍の家で翹岐たちと対話する
Page4 皇極天皇(四)依網屯倉の射猟・百済と新羅の風俗は慈愛がない
Page5 皇極天皇(五)健児の相撲・白い雀・日照り対策の失敗
Page6 皇極天皇(六)雨の祈祷・達率長福に小徳を・船舶を与える
Page7 皇極天皇(七)百済大寺と宮・蘇我大臣は蝦夷と宴会
Page8 皇極天皇(八)大雨と雷と風と春のような陽気・新嘗祭
Page9 皇極天皇(九)息長足日広額天皇の埋葬
Page10 皇極天皇(十)蘇我氏の墓と八佾之儛
Page11 皇極天皇(十一)5色の雲・大臣と巫覡・飛鳥の板蓋の新宮
Page12 皇極天皇(十二)高麗は己亥年から朝貢がない・前例と違う品物
Page13 皇極天皇(十三)茨田池の変色・吉備嶋皇祖命を檀弓岡に葬る
Page14 皇極天皇(十四)蝦夷は紫冠を入鹿に・祖母が物部弓削大連の妹・古人大兄を天皇に画策
Page15 皇極天皇(十五)巨勢徳太臣と土師娑婆連は斑鳩宮を襲撃する
Page16 皇極天皇(十六)山背大兄王の自殺・余豊の養蜂
Page17 皇極天皇(十七)中臣鎌子連を軽皇子が厚遇する
Page18 皇極天皇(十八)中臣鎌子と中大兄皇子の蹴鞠での出会い
Page19 皇極天皇(十九)身狭臣の暴挙・赤心の少女
Page20 皇極天皇(二十)豐浦大臣の倉にフクロウが子を産む・押坂直の菌の話
Page21 皇極天皇(二十一)根元が別で末が連なった百合・猿の歌・一つの茎に二つの蓮の花
Page22 皇極天皇(二十二)移風の兆・3首の歌
Page23 皇極天皇(二十三)大生部多の虫と常世の神・秦造河勝は神を打つ
Page24 皇極天皇(二十四)上の宮門と谷の宮門・東方の儐従者
Page25 皇極天皇(二十五)猿のうめき声は伊勢神宮の神の使者
Page26 皇極天皇(二十六)鞍作得志と虎
Page27 皇極天皇(二十七)乙巳の変
Page28 皇極天皇(二十八)韓人が鞍作臣を殺した!
Page29 皇極天皇(二十九)船史恵尺は国記を献上・三首の謠歌の意味
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