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皇極天皇(二十一)根元が別で末が連なった百合・猿の歌・一つの茎に二つの蓮の花
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夏六月癸卯朔、大伴馬飼連、獻百合花。其莖長八尺、其本異而末連。乙巳、志紀上郡言、有人於三輪山、見猿晝睡、竊執其臂、不害其身。猿猶合眼歌曰、
武舸都烏爾、陀底屢制囉我、儞古泥舉曾、倭我底烏騰羅毎、拕我佐基泥、佐基泥曾母野、倭我底騰羅須謀野。
其人驚怪猿歌、放捨而去。此是、經歷數年、上宮王等、爲蘇我鞍作、圍於膽駒山之兆也。戊申、於劒池蓮中有一莖二
武舸都烏爾、陀底屢制囉我、儞古泥舉曾、倭我底烏騰羅毎、拕我佐基泥、佐基泥曾母野、倭我底騰羅須謀野。
其人驚怪猿歌、放捨而去。此是、經歷數年、上宮王等、爲蘇我鞍作、圍於膽駒山之兆也。戊申、於劒池蓮中有一莖二
現代語訳
(即位3年)夏6月1日。大伴馬飼連(オオトモノウマカイノムラジ)は百合の花を献上しました。その茎の長さは8尺(ヤサカ)。その根本は別になっているのに、末は合わさって連なっていました。
6月3日。志紀上郡(シキノカミノコオリ)は言いました。
「人が居ました。三輪山(ミワノヤマ)に猿が昼寝をするのを見て、密かにその臂(タダムキ=肘から手まで)を捕らえて、体は傷つけないでいました。すると猿はなお、うたた寝して歌を歌いました。
向(ムカ)つ嶺(オ)に 立てる夫(セ)らが 柔手(ニコデ)こそ 我が手を取らめ 誰(タ)が裂手(サキデ) 裂手そもや 我が手取らすもや
その人は猿の歌に驚いて怪しく思って、放り捨てて去りました」
これはこれで数年を経て、上宮(カミツミヤ=聖徳太子の関係者)の王(ミコ)たちが蘇我鞍作(ソガノクラツクリ=蘇我入鹿のこと)のために、胆駒山(イコマヤマ)で囲まれた兆しでした。
6月6日。剣池(ツルギノイケ)の蓮の中に、一つの茎に二つの萼(ハナブサ)があるものがありました。豊浦大臣(トユラノオオオミ=蘇我蝦夷)は妄りに推測して言いました。
「これ、蘇我臣が栄える瑞(ミツ=良い兆し)だ」
すぐに金の墨で書いて、大法興寺(ダイホウコウジ)の丈六(ジョウロク=1丈6尺=仏像の大きさの基準)の仏に献上しました。
6月3日。志紀上郡(シキノカミノコオリ)は言いました。
「人が居ました。三輪山(ミワノヤマ)に猿が昼寝をするのを見て、密かにその臂(タダムキ=肘から手まで)を捕らえて、体は傷つけないでいました。すると猿はなお、うたた寝して歌を歌いました。
向(ムカ)つ嶺(オ)に 立てる夫(セ)らが 柔手(ニコデ)こそ 我が手を取らめ 誰(タ)が裂手(サキデ) 裂手そもや 我が手取らすもや
歌の訳向かいの山に立ってる男の柔らかな手で、私の手を取るのはいいのだけど、誰か分からない、この裂けたゴワゴワした手! こんなゴワゴワした手が、私の手を取るのでしょうかね!
その人は猿の歌に驚いて怪しく思って、放り捨てて去りました」
これはこれで数年を経て、上宮(カミツミヤ=聖徳太子の関係者)の王(ミコ)たちが蘇我鞍作(ソガノクラツクリ=蘇我入鹿のこと)のために、胆駒山(イコマヤマ)で囲まれた兆しでした。
6月6日。剣池(ツルギノイケ)の蓮の中に、一つの茎に二つの萼(ハナブサ)があるものがありました。豊浦大臣(トユラノオオオミ=蘇我蝦夷)は妄りに推測して言いました。
「これ、蘇我臣が栄える瑞(ミツ=良い兆し)だ」
すぐに金の墨で書いて、大法興寺(ダイホウコウジ)の丈六(ジョウロク=1丈6尺=仏像の大きさの基準)の仏に献上しました。
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解説
百合について
根元が二つなのに、茎が合わさって一つになる。これは「連理の木」と言われる吉兆に引っ掛けていると言われています。つまり「良い兆し」です。
猿の昼寝
猿は神の使いです。その神の腕を掴むと、うたた寝したまま歌を歌った。この歌はおそらく、女性が恋人を待っていると、見知らぬゴツい手の男に誘われたので、「お前、誰やねん」とツッコミを入れる歌で、上宮とか山背大兄王とは本来は関係のない歌だった。それを山背大兄王が殺される予言としての物語としてここに挿入した。
ところでこの皇極天皇即位3年に書かれているこの猿の歌の予言なのですが、山背大兄王は皇極2年の時点で死んでいるので、この予言がここにあるのはおかしいわけです。だから「挿入ミス」もしくは「写し間違い」とされるのですが、本当でしょうか。
そもそも歌と予言は関係なかったのですから、この物語自体が創作か、何かの物語を演出しているのは間違いない。もしも写し間違いじゃなければ、の話ですがこういうことだろうと思います。
現代でも、ある事件が発生すると、それに関する過去の経緯が週刊誌などに掲載されます。記事は当然、事件が起きてから書かれます。その記事の中に「事件の前兆」が書かれたとします。例えば、殺人事件が起きていて、その事件が起きた町で数年前から猫の惨殺事件があったとかです。「事件の前兆」自体は、当たり前ですが「事件のより以前」に起きたことです。しかし、「事件の前兆の記事」は「事件が起きてから」書かれるわけです。
それが山背大兄王の自殺という事件の後に、山背大兄王の自殺の事件の前兆の物語が記載される理由じゃないかと思います。
つまり、日本書紀はどこからか「時系列」ではなく、「報告順」になっているんじゃないかと思うのです。公務員のやりそうなことですよね。読み手じゃなくて、役所の都合で書いたと。
根元が二つなのに、茎が合わさって一つになる。これは「連理の木」と言われる吉兆に引っ掛けていると言われています。つまり「良い兆し」です。
猿の昼寝
猿は神の使いです。その神の腕を掴むと、うたた寝したまま歌を歌った。この歌はおそらく、女性が恋人を待っていると、見知らぬゴツい手の男に誘われたので、「お前、誰やねん」とツッコミを入れる歌で、上宮とか山背大兄王とは本来は関係のない歌だった。それを山背大兄王が殺される予言としての物語としてここに挿入した。
ところでこの皇極天皇即位3年に書かれているこの猿の歌の予言なのですが、山背大兄王は皇極2年の時点で死んでいるので、この予言がここにあるのはおかしいわけです。だから「挿入ミス」もしくは「写し間違い」とされるのですが、本当でしょうか。
そもそも歌と予言は関係なかったのですから、この物語自体が創作か、何かの物語を演出しているのは間違いない。もしも写し間違いじゃなければ、の話ですがこういうことだろうと思います。
現代でも、ある事件が発生すると、それに関する過去の経緯が週刊誌などに掲載されます。記事は当然、事件が起きてから書かれます。その記事の中に「事件の前兆」が書かれたとします。例えば、殺人事件が起きていて、その事件が起きた町で数年前から猫の惨殺事件があったとかです。「事件の前兆」自体は、当たり前ですが「事件のより以前」に起きたことです。しかし、「事件の前兆の記事」は「事件が起きてから」書かれるわけです。
それが山背大兄王の自殺という事件の後に、山背大兄王の自殺の事件の前兆の物語が記載される理由じゃないかと思います。
つまり、日本書紀はどこからか「時系列」ではなく、「報告順」になっているんじゃないかと思うのです。公務員のやりそうなことですよね。読み手じゃなくて、役所の都合で書いたと。
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