皇極天皇(二十)豐浦大臣の倉にフクロウが子を産む・押坂直の菌の話

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皇極天皇(二十)豐浦大臣の倉にフクロウが子を産む・押坂直の菌の話

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原文

三月、休留(休留茅鴟也。)産子於豊浦大臣大津宅倉。倭国言、頃者、菟田郡人押坂直闕名。將一童子、欣遊雪上。登菟田山、便看紫菌挺雪而生、高六寸餘、滿四町許。乃使童子採取、還示隣家、總言不知、且疑毒物。於是、押坂直與童子、煮而食之、大有氣味。明日往見、都不在焉。押坂直與童子、由喫菌羹、無病而壽。或人云、蓋俗不知芝草、而妄言菌乎。

現代語訳

(即位3年)3月。休留(イイドヨ=フクロウのこと)…
休留は茅鴟(ボウシ)です。

が、豊浦大臣(トユラノオオオミ=蘇我蝦夷)の大津(オオツ=和泉国和泉郡大津=現在の泉大津市=ここに蝦夷の別荘があった)の宅の倉に子を産みました。
倭国ではこんなことを言っていました。
「この頃、菟田郡(ウダノコオリ)の人の押坂直(オシサカノアタイ)…
名は漏れていてわからない。

の所に一人の童子(ワラワ)がいて、雪の上で嬉しそうに遊んでいた。菟田山(ウダノヤマ)に登って、すぐに紫の菌(タケ=キノコ)が雪の中から抜けて生えているのを見ました。高さは6寸あまり、4町ほどにいっぱいに生えていました。そこで童子に採取させて、帰って隣の家に見せました。皆、言いました。
「知らない」
また、毒があるものだと疑いました。そこで押坂直と童子とで、煮て食べました。とても香ばしくて味わいがありました。翌日、行ってみると、すべて無くなっていました。押坂直と童子が菌(タケ=キノコ)の羹(アツモノ=煮物)を食べたことで、病は無く、寿命は長くなった」
ある人は言いました。
「もしかしたら、俗人は芝草(シソウ=めでたい草=霊芝など)ということを分からずに、みだりに菌(タケ)と言ったのではないか?」
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解説

フクロウが倉に子供を産みってのは、悪い意味じゃないハズなんですよね。また押坂直のキノコの話も、変なキノコを食べちゃったけど、これがどうやら霊芝というか有難い、体にいいものでよくわかんないけど、元気になった、って話で、悪いことでもない。
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