景行天皇(日本書紀)
投稿:2014年11月19日 更新:2014年11月19日スポンサードリンク
要約
事件即位1年7月 元を改める。
即位3年2月 紀伊国へ行幸。屋主忍男武雄心命に紀伊の神を祀らせる。屋主忍男武雄心命の子孫が武内宿禰。
即位4年2月 美濃へ行幸。八坂入媛を娶る。息子の大碓命(ヤマトタケルの兄)が兄遠子・弟遠子の姉妹を父・景行天皇を騙して寝取る。
即位4年11月 纒向に都を移す(日代宮)。
即位12年 熊襲の討伐へ。土蜘蛛たちのとの戦い。
即位12年11月 日向国の高屋宮に到着。市乾鹿文が天皇に協力して父を殺すものの、その親不孝を憎んで天皇に殺される。
即位13年5月 襲国を平定。
即位17年 九州で京を思い思邦歌(クニシノビウタ)を歌う。
即位18年 筑紫国で諸縣君の泉媛が儀式を行うのを見る。
即位18年4月 熊県で弟熊を誅殺。葦北の島で水が湧く。
即位18年5月 火の国へ。
即位18年6月 玉杵名邑の土蜘蛛を誅殺。阿蘇で阿蘇津彦と阿蘇都姫に出会う。
即位18年7月 筑紫国の御木へ。八女県へ。
即位18年8月 的邑で食事。
即位19年9月 日向から大和へ帰る。
即位20年2月 五百野皇女に天照大神を祀らせる。
即位25年7月 武内宿禰に関東を視察させる。
即位27年2月 武内宿禰の報告により、蝦夷討伐を計画。
即位27年 ヤマトタケルによる熊襲征伐。
即位28年 ヤマトタケルは熊襲征伐を報告。
即位40年 関東の異民族が反抗するので、大碓皇子を派遣しようとするが、逃げたのでヤマトタケルを関東に派遣。
即位40年10月 ヤマトタケルは関東に出発。伊勢神宮に立ち寄り、倭姫命から草薙剣を受け取る。焼津での火攻めを草薙剣で防ぐ。相模で海を舐めたために暴風雨が起き、弟橘媛が生贄となって嵐を鎮め、なんとか海を渡る。上総から陸奥、葦浦、玉浦から蝦夷の元へ行き平定し、蝦夷を俘囚として連れ帰る。日高見国から常陸を経て甲斐国の酒折宮に滞在。武蔵から上野、西碓日坂を通り、部下の吉備武彦を越国へ派遣。その後、ヤマトタケルは信濃へ。山の神を殺して美濃に脱出。尾張で宮簀媛を娶る。五十葺山(イブキヤマ)に入り、神に呪われる。俘囚の蝦夷を伊勢神宮に献上。能褒野でヤマトタケル死亡(30歳)。白鳥となって倭国の琴弾原、河内の旧市邑へ飛んでいく。
この時点で景行天皇即位43年。
即位51年1月 稚足彦尊と武内宿禰が宴会に参加しなかった。その理由を聞いて稚足彦尊は皇太子に。
即位53年 天皇は伊勢から東国へ巡幸。上総国・淡水門へ。
即位53年12月 東国から帰り、伊勢の綺宮に滞在。
即位54年9月 伊勢から纒向宮に。
即位55年2月 彦狹嶋王の死。遺体は盗まれて上野国に葬られる。
即位56年8月 御諸別王(彦狹嶋王の子)が東国の担当となり、蝦夷を征伐する。
即位57年 坂手池を作る。田部屯倉を起こす。
即位58年 近江国の志賀に3年滞在(高穴穂宮)。
即位60年 景行天皇は崩御(106歳)。
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