土蜘蛛(ツチグモ)

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土蜘蛛

漢字・読みツチグモ
別名土雲
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概要

土蜘蛛は大和朝廷に反逆する異民族の一族を指すもの。古事記では神武天皇の東征のときに「土雲八十建(ツチグモヤソタケル)」と見られるのみ。

日本書紀では神武天皇の東征のときだけでなく、景行天皇の段にもみられます。また、肥前風土記巻首・佐嘉郡・小城郡。松浦郡・杵島郡・藤津群能美郷・彼杵群浮穴郷、豊後風土記日田郡・直入郡・大野郡・速見郡、日向風土記の逸文には「土蜘蛛」の記述があります。また摂津風土記の逸文には「土蛛」。越後風土記の逸文には「土雲」。常陸風土記茨城郡には「都知久母」。常陸風土記久慈郡には「土雲」。陸奥風土記の逸文には「土知朱」とあります。
蜘蛛は後付けだと
土蜘蛛という名前から、「穴に住む」という印象を受けますが、古事記には「大室」にいるという表現があることから、「穴に住む」というのは「ツチグモ」という名前から受けたイメージを膨らました結果ではないか?というのが定説です。

おそらく「クモ」という音が前もってあって、そこに「蜘蛛」という字をあてたことから、上記のイメージができたと思われますが、それでは「クモ」はどこから来たのか?

古事記やその他の風土記には「雲」という字がみられます。雲というと「出雲」や「トヨクモノ神」というように悪い意味ではありません。雲には飯を炊く煙を指していたり、雨を降らす雲をさしていたり、とてもいい意味で使うものです。
個人的には
ツチグモはもしかすると、鉄器生産従事者のことだったのではないでしょうか? 鉄を生産するには木が必要です。木を燃やすことで煙が出ます。これを「雲」と称したのではないでしょうか。日本ではタタラ製鉄が一般的でしたから、この土から砂鉄を取り出して、鉄を生産する集団を漠然と「ツチグモ」と呼んだのではないかと。
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古事記からの引用

土蜘蛛のうなり声
すると尾の生えた土雲(ツチグモ)という大勢の男たちが岩屋で待ちうけて、うなり声を上げていた。


日本書紀からの引用

己未年春二月壬辰朔辛亥(一)土蜘蛛の誅殺
この三カ所の土蜘蛛は武力に頼んで、天皇に従いませんでした。
天皇は兵の一部を派遣して、全員を誅殺しました。

また、高尾張邑(タカオハリノムラ)にも土蜘蛛が居ました。
その人と成りはこうでした。
身長は低く、手足は長い。
侏儒(サキヒト=小人=バカ)と似ていました。

景行天皇(九)鼠の石窟
速見邑(ハヤミムラ=豊後国速見郡=大分県速見郡・別府市・杵築市)に到着しました。すると女がいました。名前を速津媛(ハヤツヒメ)といいます。長(ヒトゴノカミ=首領)です。彼女は天皇が来ていると聞いて、自ら迎えに来て言いました。
「この山に大きな石窟(イワヤ)があります。鼠(ネズミ)の石窟(イワヤ)といいます。二つの土蜘蛛がいて、そこに住んでいます。
土蜘蛛の一つは青といいます。
もうひとつは白といいます。
また、直入県(ナオイリノアガタ)の禰疑野(ネギノ=地名=大分県竹田市菅生?)に三つの土蜘蛛がいます。
一つ目は打猨(ウチサル)といいます。
二つ目は八田(ヤタ)といいます。
三つ目は国摩侶(クニマロ)といいます。
この5人は普通の人よりも力が強くて、また衆類(トモガラ=仲間)が多い。全員が『天皇の命には従わない』と言っています。もしも、無理に呼び寄せるならば、兵を起こして反抗するでしょう」

景行天皇(十)海石榴の椎
天皇は群臣(マヘツノキミタチ)と話し合い、言いました。
「今、大勢の兵を動かして、土蜘蛛を討とうと思う。
もし土蜘蛛が我らの兵(ツワモノ)の勢いを恐れて山野に隠れたら、必ず後に憂いとなるだろう」
すぐに海石榴樹(ツバキノキ)を採って、それを椎(ツチ=槌=工具)を作って兵(ツワモノ=武器)を作りました。それで勇猛な卒(イクサ=兵士)を選んで、兵(ツワモノ)の椎(ツチ)を授けて、山を穿(ウガ=掘る)ち、草をはらって、石室(イワムロ)の土蜘蛛を襲って、稲葉(イナバ=大分県・熊本県の大野川の上流の飛田川のこと)の川上で破り、すべての党(トモガラ)を殺しました。その血が流れて、踝(ツブナキ=足のくるぶしのこと)にまで達しました。その時の人は、その海石榴(ツバキ)の椎(ツチ)をつくった所を海石榴市(ツバキチ)と言いました。また血の流れたところを血田(チタ)といいました。

景行天皇(十一)蹈石と誓約
天皇は初めは、賊(アタ)を討とうとして、柏峡(カシワヲ=大分県直入郡萩町柏原?)の大野に留まりました。その野に石がありました。長さは6尺、広さは3尺、厚さは1尺5寸。天皇は誓約をしました。
「わたしが土蜘蛛を滅ぼすことができるのならば、まさにこの石を蹴っ飛ばしたら、柏の葉のように飛べ」
それで石を蹴っ飛ばしました。すると石は柏の葉のように大虚(オオゾラ)にあがりました。

景行天皇(十九)玉杵名邑の土蜘蛛津頰と阿蘇の地名説話
(即位18年)6月3日。高来県(タカクノアガタ=現在の長崎県北高来郡・南高来郡・諫早市・島原市)から玉杵名邑(タマキナノムラ=現在の熊本県玉名郡・荒尾市・玉名市)に渡りました。その土地の土蜘蛛津頰(ツチグモツツラ)というのを殺しました。

神功皇后(四)御笠と安の地名説話と田油津媛
25日移動して山門県(ヤマトノアガタ=筑後国山門郡=現在の福岡県山門郡)へと到着しました。そこで土蜘蛛の田油津媛(タブラツヒメ)を誅殺しました。そのときに田油津媛(タブラツヒメ)の兄の夏羽(ナツハ)が軍を起こして迎えに来ました。しかし、妹が誅殺されたことを聞き、逃げました。
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