崇峻天皇(日本書紀)
投稿:2015年09月30日 更新:2015年09月30日スポンサードリンク
要約
用明天皇即位2年4月 用明天皇崩御用明天皇即位2年5月 物部守屋が穴穂部皇子を天皇にしようとして、穴穂部皇子を狩りに誘う。
用明天皇即位2年6月 蘇我馬子が穴穂部皇子と宅部皇子を誅殺。善信阿尼が百済で勉強したいと申し出る。百済から使者が来たので、善信阿尼を連れて行かせようとするが、断られる。
用明天皇即位2年7月 蘇我馬子が物部守屋を殺害。四天王寺を造る。法興寺を造る。捕鳥部萬の逃走と死と、飼い犬が悲しみ餓死したので捕鳥部萬と犬を葬る。
用明天皇即位2年8月 崇峻天皇が即位。倉梯宮を造る。
崇峻天皇即位1年 百済が使者と僧侶や仏舎利や人材を派遣し、税を納めました。使者に善信尼を預けて留学させる。法興寺(=飛鳥寺)を造る。
即位2年7月 近江臣満を東山道、宍人臣鴈を東海道、阿倍臣を北陸道へ派遣して国境を調べさせる。
即位3年3月 善信尼が帰国。桜井寺に滞在。
即位3年 出家した尼が多くいた。
即位3年8月 崇峻天皇が任那の再建を詔する。
即位3年11月 2万の軍隊を筑紫へ。
即位5年10月 崇峻天皇がイノシシの献上品を見て「いつか、猪の首を切るように嫌いな奴を切るぞ」と詔する。蘇我馬子をその詔を聞いて、天皇の殺害を決意。法興寺の仏堂と歩廊ができる。
即位5年11月 蘇我馬子が崇峻天皇を殺害。崇峻天皇を殺した東漢直駒が蘇我娘の河上娘を盗んで妻とする。
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「崇峻天皇(日本書紀)」のページ一覧
Page1 崇峻天皇(一)出自・穴穂部皇子と淡路で馳猟をしたい |
Page2 崇峻天皇(二)宅部皇子と穴穂部皇子を誅殺 宅部皇子と穴穂部皇子を誅殺 |
Page3 崇峻天皇(三)尼たちは訓戒の法を百済で学びたい 尼たちは訓戒の法を百済で学びたい |
Page4 崇峻天皇(四)渋河での守屋と馬子の戦い 渋河での守屋と馬子の戦い |
Page5 崇峻天皇(五)厩戸皇子の白膠木の四天王像 厩戸皇子の白膠木の四天王像 |
Page6 崇峻天皇(六)大臣の妻は大連の妹・四天王寺と法興寺 大臣の妻は大連の妹・四天王寺と法興寺 |
Page7 崇峻天皇(七)捕鳥部萬の逃亡 捕鳥部萬の逃亡 |
Page8 崇峻天皇(八)萬の屍体は8つに斬って8つの国へ 萬の屍体は8つに斬って8つの国へ |
Page9 崇峻天皇(九)萬の白犬・桜井田部連胆渟の犬 萬の白犬・桜井田部連胆渟の犬 |
Page10 崇峻天皇(十)即位・妃と子息子女 |
Page11 崇峻天皇(十一)僧と仏舎利と寺工と鑪盤博士と瓦博士と画工 僧と仏舎利と寺工と鑪盤博士と瓦博士と画工 |
Page12 崇峻天皇(十二)飛鳥衣縫造の祖先の樹葉の家を壊して法興寺を建てる 飛鳥衣縫造の祖先の樹葉の家を壊して法興寺を建てる |
Page13 崇峻天皇(十三)東山道・東海道・北陸道へ使者を派遣し国境を見させる 東山道・東海道・北陸道へ使者を派遣し国境を見させる |
Page14 崇峻天皇(十四)善信尼の帰国・新たな出家と徳斉法師 善信尼の帰国・新たな出家と徳斉法師 |
Page15 崇峻天皇(十五)任那再建へ・筑紫へ派兵 任那再建へ・筑紫へ派兵 |
Page16 崇峻天皇(十六)いつか、この猪の頸を斬るように、朕が妬み嫌っている人を斬ろう いつか、この猪の頸を斬るように、朕が妬み嫌っている人を斬ろう |
Page17 崇峻天皇(十七)東国の調・東漢直駒の天皇暗殺 東国の調・東漢直駒の天皇暗殺 |
Page18 崇峻天皇(十八)河上娘を連れ去ったことで駒は殺される 河上娘を連れ去ったことで駒は殺される |
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