厩戸皇子の白膠木の四天王像

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崇峻天皇(五)厩戸皇子の白膠木の四天王像

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原文

是時、廐戸皇子、束髮於額(古俗、年少兒年十五六間束髮於額。十七八間分爲角子、今亦爲之而)隨軍後、自忖度曰「將無見敗、非願難成。」乃斮取白膠木、疾作四天皇像、置於頂髮而發誓言(白膠木、此云農利泥)「今若使我勝敵、必當奉爲護世四王起立寺塔。」蘇我馬子大臣、又發誓言「凡諸天王・大神王等、助衞於我使獲利益、願當奉爲諸天與大神王、起立寺塔流通三寶。」誓已嚴種種兵、而進討伐。

現代語訳

このとき、厩戸皇子(ウマヤトノミコ)は束髮於額(ヒサゴハナシテ)…
古(イニシエ)の俗(ヒト)は年少児の15、16歳の間は束髮於額(ヒサゴハナス)します。17、18歳の間は分けて角子(アゲマキ)にします。今もそうです。

軍の後ろに従っていました。自ら考えて言いました。
「ひょっとすると…負けるということは無いだろうか? 神仏に願い誓わないでは、成し遂げ難いだろう」
すぐに白膠木(ヌリデ=木の種類)を切り取って、素早く四天王の像を作って、頂髮(タキフサ=頭の上)に置いて、誓いを立てて言いました。
白膠木は農利泥(ヌリデ)といいます。

「今、もし、わたしを敵に勝たせたならば、必ず護世四王(ゴセシオウ)のために、寺塔(テラ)を建てよう!」
蘇我馬子大臣はまた、誓いを立てて言いました。
「すべての諸天王(ショテンオウ)・大神王(ダイジンオウ)たち、わたしを助け、守り、利益(=ここでは勝利のこと)を獲させたならば、願わくば、諸天と大神王のために、寺塔を建てて、三宝を流通(ツタエ=伝え=布教)しよう!」
誓い終わり、種々(クサグサ)の兵(イクサ=兵士・武器)を準備して、進んで討伐しました。
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解説

仏教が神道に勝つ
穢れと祟りを嫌うがあまり、兵と戦争を嫌い、そして兵器と霊を司る氏族に勝てなかったのですね。それが穢れと霊の無い仏教という宗教がやって来て、戦争をした。

日本は朝鮮半島で新羅にいいようにされて来ました。それも、神道が穢れと祟りを恐れる思想だからでしょう。これではマズイという機運が日本にはあった。だから蘇我氏は仏教を積極的に取り入れた。用明天皇も蘇我と血縁だったからいう事を聞いたということではなく、色々と考えた結果だったと思います。

しかし物部や中臣からすれば、自身の仕事を失うことになりかねない。反抗するのは当然です。それに真っ向から当たれば、物部が勝つ。なにせ、兵器を持ち、祟りを司っていたからです。普通の日本人は恐怖する。しかし、四天王が味方につけば…
ヌリデ
カブれる「ハゼ」「ウルシ」という植物があって、これは近づいただけでカブれます。ヌリデはハゼやウルシの近縁種で、多少はカブれることがあるのですが、ほとんどカブれません。
古代の日本人はこの「カブれる」という現象から、これらの木が「魔を払う」という感覚がありました。ヌリデで像を作ったのはそういう意味があったわけです。
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