崇峻天皇(一)出自・穴穂部皇子と淡路で馳猟をしたい

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崇峻天皇(一)出自・穴穂部皇子と淡路で馳猟をしたい

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原文

泊瀬部天皇、天国排開廣庭天皇第十二子也、母曰小姉君。稻目宿禰女也。已見上文也。二年夏四月、橘豊日天皇崩。五月、物部大連軍衆、三度驚駭。大連、元欲去餘皇子等而立穴穗部皇子爲天皇。及至於今、望因遊獵而謀替立、密使人於穴穗部皇子曰「願與皇子將馳獵於淡路。」謀泄。

現代語訳

泊瀬部天皇(ハツセベノスメラミコト=崇峻天皇)は天国排開広庭天皇(アメクニオシハラキヒロニワノスメラミコト=欽明天皇)の第12子です。母は小姉君(オアネノキミ)です。
蘇我稲目の娘です。すでに上の文に見えています。


用明天皇即位2年の夏4月も橘豊日天皇(タチバナノトヨヒノスメラミコト=用明天皇)が崩御しました。

5月に物部大連(モノノベノオオムラジ=物部守屋)が軍衆(イクサ=兵士)が三度(ミヨリ)、驚駭(トヨム)しました。大連は、元から他の皇子たちを捨てて、穴穂部皇子を天皇にしようと思っていました。その時になって、遊猟(カリ=猟り)をすると言って、天皇に立てようと謀っていて、密かに穴穂部皇子のもとに使者を送って言いました。
「願わくば、皇子と淡路で馳猟(カリ)をしたいものです」
謀(ハカリゴト)は漏れました。
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解説

三度(ミヨリ)、驚駭(トヨム)
三回、驚く、という書き方をしています。これが何を意味するのかはハッキリとはわかっていません。元興寺縁起には「三度驚駭、天皇喪…(文、日本紀同之)」とあるので、「三度(ミヨリ)、驚駭(トヨム)」というのは、用明天皇の死を弔う儀式だったと考えたほうが自然。
ただ、そういう体裁を取りながら、戦争に向けて兵士を鼓舞するために、雄叫びを上げた…という意味かもしれません。

もう一つ。
神武天皇が長髄彦に敗北した後に雄叫びをあげています。これは「敗北」という「穢れ」というか「魔」を払うためです。日本人は大きな声を出すことで、魔を払う感覚がありました。「三度(ミヨリ)、驚駭(トヨム)」という言葉は、そういう日本人の感覚の表れと捉えたほうが自然でしょう。つまり、天皇の死を弔いつつ、戦争の鼓舞をしているという意味です。
猟りと皇子
皇子が狩りをしたあとに政治が動くということが多いわけで、猟りというものが、そもそも「政変」を表す単語だったんじゃないかと思います。
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