天武天皇(日本書紀29)
投稿:2016年01月31日 更新:2016年01月31日スポンサードリンク
要約
即位2年1月7日 宴会をする。即位2年2月27日 飛鳥浄御原宮で即位。
即位2年2月29日 勲功のある人に爵位を与え、品を与えた。
即位2年3月17日 備後国司が白雉を献上。その地域の労働が免除される。川原寺で一切経が写経される。
即位2年4月14日 大来皇女を天照太神宮に派遣させるために、まずは泊瀬斎宮に。
即位2年5月1日 神宮に仕えるものの詔。
即位2年5月29日 坂本財臣が死亡。
即位2年閏6月6日 百済の沙宅昭明が死亡。
即位2年6月8日 耽羅の王子が朝貢。
即位2年6月15日 新羅が天皇即位を祝う使者を派遣。同時に前の天皇(つまり天智天皇)を弔う使者を派遣した。
即位2年6月24日 新羅の使者を筑紫でもてなした。
即位2年8月9日 紀臣閉麻呂たちに壬申の乱の論功行賞を。
即位2年8月20日 高麗による朝貢。新羅も使者を派遣して高麗の使者を筑紫に送る。
即位2年8月25日 即位の祝いの使者を京に呼んだが、耽羅も使者を寄せたが天皇の即位を祝う使者ではなかったために都には呼ばなかった。天皇が詔「波が高くなるから早く帰っていいよ」。ただし、耽羅の王と使者に爵位を与えた。
即位2年9月28日 新羅の使者の金承元を難波でもてなす。
即位2年11月1日 金承元が帰国。
即位2年11月21日 高麗と新羅の使者を筑紫でもてなす。
即位2年12月5日 中臣・忌部と神官・播磨と丹波の郡司などに禄と爵位を与える。
即位2年12月17日 紀臣訶多麻呂を高市大寺の司に。福林僧は知事を辞退しようとしたが、聞き入れられなかった。
即位2年12月27日 義成僧を小僧都に。佐官に二人を追加。
即位3年1月10日 百済王の昌成が死亡。
即位3年2月28日 紀臣阿閉麻呂が死亡。
即位3年3月7日 対馬国司守の忍海造大国が「対馬で銀が出た」と報告。
即位3年8月3日 忍壁皇子が石上神宮で神宝を磨く。
即位3年10月9日 大来皇女は泊瀬の斎宮から伊勢神宮へ。
即位4年1月1日 舎衛(インドの地方)・堕羅(タイのドヴァラヴァティ王国)・百済王・新羅の従者などが薬や珍しいものを献上。
即位4年1月2日 皇子と百寮が朝廷を拝した。
即位4年1月3日 高位の百寮が薪を献上。
即位4年1月5日 初めて占星台を立てる。
即位4年1月7日 臣下と宴会。
即位4年1月17日 臣下と百寮と高位の人が西門の庭で弓を射る儀式をする。大倭国は不思議な鶏を、東国は白鷹を、近江国は白鵄を献上。
即位4年1月23日 社に御幣を献上。
即位4年2月9日 大倭・河内・摂津・山背・播磨・淡路・丹波・但馬・近江・若狹・伊勢・美濃・尾張に歌の上手い百姓と面白い人と演じる人を献上しろと詔する。
即位4年2月13日 十市皇女と阿閉皇女が伊勢神宮に詣でる。
即位4年2月15日 天智天皇の時に支給した部民を廃止。皇族・王・臣に支給した土地も廃止する詔。
即位4年2月19日 「臣下と百僚と人民に悪いことをしないように。やったら罪を問う」という詔をする。
即位4年2月23日 天皇が高安城に行く。
即位4年2月 新羅の王子や使者が貢調する。
即位4年3月2日 土佐大神が神刀を天皇に献上。
即位4年3月14日 新羅の金風那を筑紫でもてなした。筑紫から帰国。
即位4年3月16日 栗隈王を兵政官長に。大伴連御行を大輔に。
即位4年3月 高麗が朝貢。新羅は貢調した。
即位4年4月5日 僧尼2400人で大きな設斎を。
即位4年4月8日 当摩公広麻呂と久努臣麻呂は参朝禁止の詔。
即位4年4月9日 貸税をする際に百姓の貧富を見て三等から選ぶよう、また中級以下の家にも貸すように詔をする。
即位4年4月10日 風神を竜田の立野に、大忌神を広瀬の河曲に祀らせる。
即位4年4月14日 久努臣摩呂が詔使を拒絶したため官位を取られた。
即位4年4月17日 漁猟者に檻穽・機槍などの罠を禁じ、4月1日〜9月30日に罠を設置してはいけない。牛・馬・犬・猿・鶏の食肉を禁止する詔を出す。
即位4年4月18日 麻続王が因幡に流罪。
即位4年4月23日 才芸のあるものに禄を与えた。
即位4年4月 新羅の王子の忠元が難波に到着。
即位4年6月23日 大分君恵尺が病気になり死亡する。死ぬ前に天皇が報償を与えた。
即位4年7月7日 大伴連国麻呂・三宅吉士入石などを新羅へ派遣。
即位4年8月1日 耽羅の貢調で王子の久麻伎が筑紫に宿泊。
即位4年8月22日 強風で屋根が壊れる。
即位4年8月25日 新羅の王子の忠元が難波から帰国。
即位4年8月28日 新羅と高麗の使者が貢調。筑紫でもてなす。
即位4年9月27日 耽羅の王の姑如が難波に到着。
即位4年10月3日 一切経を探す。
即位4年10月10日 臣下と酒飲んで宴会。
即位4年10月16日 筑紫から唐人30人が献上。唐人を遠江国に移住させる。
即位4年10月20日 諸王以下、初位より上は武器を用意するように詔をした。相模国が「高倉郡の娘が三つ子を産んだ」と報告。
即位4年11月3日 誰かが呪いをかけて自殺。
即位4年11月 大きな地震があった。
即位5年1月1日 臣下と百寮が朝廷で拝礼。
即位5年1月4日 衣・袴・褶・腰帯・脚帯・机・杖を支給。
即位5年1月7日 禄を与えた。
即位5年1月15日 百寮が薪を献上。朝廷で宴会をした。
即位5年1月16日 西の門で弓を射る儀式。的に当たると景品があった。天皇は嶋宮で宴会。
即位5年1月25日 「国司には畿内・陸奥・長門以外は大山位より下のものに」と詔。
即位5年2月24日 耽羅の人に船を与える。
即位5年2月 大伴連国摩呂が新羅から帰国。
即位5年4月4日 竜田の風神・広瀬の大忌神を祀る。鰐積吉事がトサカが椿のような鶏を献上。倭国の飽波郡が「雌鶏が雄鶏になった!」と報告。
即位5年4月14日 西の国の封戸の税を東国に給付する。畿内の外の人間で仕えようとしても、臣連伴造・国造の子以外は聞いてはいけない。ただしそれ以下の子でも才能のあるものは聞いても良い、と詔。
即位5年4月22日 「礪杵郡の紀臣訶佐麻呂の子を東国に移住させて、百姓にしなさい」と美濃国司に詔。
即位5年5月3日 貢調が遅い国司の罪状を述べる。
即位5年5月7日 下野国司が「凶作なので百姓が子を売ろうとしています」と言うが朝廷は聞かず、許可しなかった。
即位5年5月 「南淵山・細川山を禁足地に。畿内の以前からの禁足地も木を焼いたり折ってはいけない」と詔。
即位5年6月 栗隈王が死亡。物部雄君連が死亡。夏に干ばつがあった。御幣を捧げて神に祈り、僧尼に祈らせるが、雨が実らず、百姓は飢えた。
即位5年7月2日 臣下と百寮に爵位と品を与える。
即位5年7月8日 耽羅の客人が帰国。
即位5年7月16日 竜田の風神・広瀬の大忌神を祀る。
即位5年7月 村国連雄依が死亡。彗星が9月まで流れる。
即位5年8月2日 親王や臣下に食封を支給。
即位5年8月16日 国中で大解除。その必要物資を国造が輸送。
即位5年8月17日 死刑・没官・島流しに恩赦。それ以下の罪を赦す。諸国で放生会する。
即位5年8月 大三輪真上田子人君が死亡。
即位5年9月1日 雨が降ったので告朔をしなかった。
即位5年9月10日 兵器を検校させた。
即位5年9月12日 筑紫の太宰の屋垣王を土佐に島流し。
即位5年9月13日 百寮と諸藩に禄を与える。
即位5年9月21日 神官が新嘗の占いで斎忌に尾張国の山田郡、丹波国の訶沙郡が当たったと報告する。
即位5年10月1日 臣下と酒を飲んで宴会。
即位5年10月3日 相嘗祭で神に御幣を奉る。
即位5年10月10日 物部連摩呂と山背直百足を新羅に派遣。
即位5年11月1日 新嘗があったので告朔をしなかった。
即位5年11月3日 新羅が金清平を派遣して政治の要請。新羅が貢調。粛慎が金清平に従って来る。
即位5年11月19日 放生会。
即位5年11月20日 金光明経・仁王経を四方の国に説く。
即位5年11月23日 高麗が朝貢。新羅が高麗の使者を筑紫に送迎。
即位5年 新城に都を作ろうとしたが、失敗。
即位6年1月17日 南門で弓を射る儀式。
即位6年2月1日 物部連摩呂が新羅から帰国。
即位6年2月 多禰嶋人たちを飛鳥寺の西の槻の下で宴会。
即位6年3月19日 新羅の清平14人を京に呼び寄せる。
即位6年4月11日 杙田史名倉が批判したので伊豆に島流し。
即位6年4月14日 珍那を筑紫で宴会してもてなす。
即位6年5月1日 告朔をしなかった。
即位6年5月3日 百済人の率母、倭画師音檮に位を。
即位6年5月7日 新羅の朴刺破たちが五島列島に漂着。
即位6年5月28日 神社の税は三分の一を神に、三分の二を神主に、と詔。
即位6年5月 干ばつ。京と畿内で雨乞い。
即位6年6月14日 大きな地震。東漢直に「7つの悪行をした。近江王朝は謀略に使ってきた。これまでの罪は許すが今後は許さない」と詔。
即位6年7月3日 竜田の風神・広瀬の大忌神を祀る。
即位6年8月15日 飛鳥寺を一切経を読む。天皇は三宝を敬い、臣下たちに出家者を一人与える。
即位6年8月27日 金清平は帰国。漂着した朴刺破を新羅へ返す。
即位6年8月28日 耽羅が都羅を派遣して朝貢。
即位6年9月30日 浮浪人は逃げた先でも本土でも課役を貸すようにと詔。
即位6年10月14日 河辺臣百枝を民部卿に。丹比公麻呂を摂津職大夫に。
即位6年11月1日 雨天で告朔をせず。筑紫太宰が赤いカラスを献上。大赦する。
即位6年11月21日 新嘗祭。
即位6年11月23日 百寮に食を与える。
即位6年11月27日 神官と国司に禄を。
即位6年12月1日 雪で告朔をせず。
即位7年1月17日 南門で弓を射る儀式。
即位7年1月22日 耽羅人が京へ向かう。祓禊をする。斎宮を倉梯の川上に建てる。
即位7年4月1日 斎宮へ行く占いをする。占いで4月7日と出た。平坦の時に出発しようとすると、十市皇女が発病し死亡。行幸を止めた。
即位7年4月13日 新宮の西庁に落雷。
即位7年4月14日 十市皇女を赤穂で葬る。天皇が発哀する。
即位7年9月 忍海造能摩呂が瑞穂を献上。特赦をする。稚狹王が死亡。
即位7年10月1日 綿が難波に降る。甘露だと噂する。
即位7年10月26日 「優秀な真面目な人を推薦しなさい。仕事を大した理由もなく休む人は出世させるな」と詔する。
即位7年12月27日 大量の臘子鳥が西南から東北へ。
即位7年12月 筑紫で大地震。地面が避け、家が倒れた。
即位7年 この年に新羅王が金消勿などを派遣して貢調下が遭難して加良井山だけが岸に到着した…と報告があった。
即位8年1月5日 新羅の使者が京に。
即位8年1月7日 「氏長と親と兄姉以外に拝礼してはいけない」と詔。
即位8年1月18日 西門で弓を射る儀式。
即位8年2月1日 高麗が朝貢。新羅が筑紫に高麗の使者を送迎。
即位8年2月3日 紀臣堅摩呂が死亡。
即位8年2月4日 「親王・臣下・百寮の兵器と馬を検校する」と詔。
即位8年2月 貧しいものに恵む。
即位8年3月6日 大分君稚見が死亡。
即位8年3月7日 天皇が越智へ行幸。後岡本天皇陵で拝礼。
即位8年3月9日 吉備大宰石川王が病死。
即位8年3月22日 貧乏な僧尼に絁・綿・布を贈る。
即位8年4月5日 食封を持ってる寺を調べて、加減するべきと詔した。いくつかの寺の名前を定めた。
即位8年4月9日 広瀬・竜田の神を祀る。
即位8年5月5日 天武天皇は吉野宮へ。
即位8年5月6日 天皇は皇后や皇子たちに異腹の皇子でも愛することを誓った。
即位8年5月7日 天武天皇は大和へ帰る。
即位8年5月10日 皇子は大殿で天皇に対して拝礼する。
即位8年6月1日 桃のような雹が降る。
即位8年6月23日 雨乞いをする。
即位8年6月26日 大伴杜屋連が死亡。
即位8年7月6日 雨乞いをする。
即位8年7月14日 広瀬・竜田の神を祀る。
即位8年7月17日 葛城王が死亡。
8月1日 諸氏に娘を献上するように詔をする。
8月11日 泊瀬の迹驚淵で宴会。諸氏に馬を提出させる。
8月22日 縵造忍勝が不思議な稲を献上。
8月25日 大宅王が死亡。
9月16日 新羅に派遣した使者が帰国し拝礼。
9月23日 高麗と耽羅に派遣した使者が帰国し拝礼。
10月2日 「上のものは下のものの過失を責め、下のものは上のものの暴虐を諌めれば、国家は治るだろう」と詔。
10月11日 地震。
10月13日 僧尼の作法と法服の色などを制定。
10月17日 新羅が朝貢。
10月 「僧尼は寺の中にいるべき。だが、老病ならば別の小屋を空き地に立ててそこに住め。じゃないと穢れるから」と詔。
11月14日 地震。
11月23日 倭馬飼部造連と上寸主光父を多禰嶋に派遣。
12月2日 嘉禾を理由に禄を給付。特赦。
即位8年 紀伊国伊刀郡が芝草を献上。因幡国が瑞稲を献上。
即位9年1月8日 天武天皇は向小殿で宴会。忌部首首は連に。
1月17日 南門で弓を射る儀式。
1月20日 活田村で桃李がなる。
2月18日 鼓の音のようなものが東から聞こえる。
2月26日 葛城で得た不思議な鹿の角を献上。麒麟の角ではないか。
2月27日 新羅の死者が本土に帰る。
3月10日 摂津国は白巫鳥を献上。
3月23日 菟田の吾城へ行幸。
4月10日 広瀬・竜田の神を祀る。
4月11日 橘寺の尼房が火事。
4月25日 新羅の項那を筑紫で宴会してもてなす。
4月 「国の大寺以外は認めない。食封は30年を期限とする。飛鳥寺に役人を関与させなさい」と詔。
5月1日 都の24の寺に品を贈る。金光明経を説く。
5月13日 高麗が朝貢。新羅の項那が高麗の使者を筑紫に送迎した。
5月21日 秦造綱手が死亡。
5月27日 星川臣摩呂が死亡。
6月5日 新羅の項那が帰国。
6月8日 灰が降った。
6月14日 雷が激しく鳴った。
7月1日 飛鳥寺の西の槻の枝が折れる。
7月5日 天武天皇が犬養連大伴に見舞う。雨乞いをする。
7月8日 広瀬・竜田の神を祀る。
7月10日 朱雀が南門に現れる。
7月17日 朴井連子麻呂に小錦下位を。
7月20日 飛鳥寺の弘聡僧が死亡。大津皇子と高市皇子が弔う。
7月23日 三宅連石床が死亡。
7月25日 舍人王が死亡。高市皇子・川嶋皇子を派遣した。
8月5日 法官が嘉禾を献上。雨が降り、洪水になった。
8月14日 強風で屋根が壊れる。
9月9日 朝嬬に行幸。馬を見た。
9月23日 地震。
9月27日 桑内王が死亡。
10月4日 寺の貧乏な僧尼と百姓たちに施し。
11月1日 日蝕。
11月3日 戌(午後11時)から子(深夜0時)まで東が明るかった。
11月4日 斉明天皇の弔いに来ていた高麗人19人が帰国。
11月7日 良い政策なら提言しなさいと詔。
11月10日 西で雷が鳴る。
11月12日 皇后(のちの持統天皇)が病気。回復を願い薬師寺を建立。罪人を許す。
11月16日 月蝕。草壁皇子が恵妙僧の見舞いをするが翌日死亡。
11月24日 新羅が貢調。
11月26日 天皇が病気になるが100人の僧を出家させると治る。
11月30日 臘子鳥が天を覆うほど飛び、東南から西北へ。
即位10年1月2日 幣帛を神祇に奉納する。
1月3日 百寮が朝廷で拝礼。
1月7日 向小殿で宴会。親王・諸王は内安殿で、臣下は外安殿で宴会。草香部吉士大形に難波連姓を与えた。
1月11日 境部連石積に給付。
1月17日 朝廷で弓の儀式。
1月19日 天社地社を修理。
2月25日 大極殿で詔。「律令を定め、仏式を改める」。草壁皇子を皇太子として摂政とする。
2月29日 阿倍夫人が死亡。
2月30日 当摩公豊浜が死亡。
3月4日 阿倍夫人を葬る。
3月17日 大極殿で帝紀を記し、定めさせた。
3月21日 地震。
3月25日 井戸で鼓吹を鳴らして習わせた。
4月2日 広瀬・竜田の神を祀る。
4月3日 禁式九十二条(衣服の規定)。
4月12日 14人に姓を与える。
4月17日 高麗の卯問を筑紫でもてなす。
5月11日 皇祖の御魂を祀り、詔で「宮人に媚びすぎだ!」と批判。
5月26日 卯問が帰国。
6月5日 新羅の若弼を筑紫でもてなす。
6月17日 雨乞い。
6月24日 地震。
7月1日 朱雀を見る。
7月4日 采女臣竹羅と当摩公楯を新羅に派遣。佐伯連広足と小墾田臣麻呂を高麗に派遣。
7月10日 広瀬・竜田の神を祀る。
7月30日 大解除をする。
閏7月15日 皇后の誓願で大斎。
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