天武天皇(九十三)氷上夫人の死・舍人連糠蟲の死

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天武天皇(九十三)氷上夫人の死・舍人連糠蟲の死

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原文

十一年春正月乙未朔癸卯、大山上舍人連糠蟲、授小錦下位。乙巳、饗金忠平於筑紫。壬子、氷上夫人薨于宮中。癸丑、地動。辛酉、葬氷上夫人於赤穗。二月甲子朔乙亥、金忠平歸国。是月、小錦下舍人連糠蟲卒、以壬申年之功贈大錦上位。

現代語訳

即位11年春1月9日。大山上の舍人連糠蟲(トネリノムラジヌカムシ)に小錦下位を授けました。
1月11日。金忠平(キンチュウビョウ)を筑紫で宴会してもてなしました。
1月18日。氷上夫人(ヒカミノオオトジ=天武天皇の夫人)が宮中で亡くなりました。
1月19日。地震がありました。
1月27日。氷上夫人を赤穂(アカホ)に葬りました。
2月12日。金忠平(キンチュウビョウ)が国に帰りました。
この月に、小錦下の舍人連糠蟲が亡くなりました。壬申の年の功績を持って大錦上位を贈りました。
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解説

舍人糠蟲
舎人は従者の意味で、ヌカムシが「糠に発生する虫」なのか「ヌカのような小さな虫」という意味なのかは分からないですが、変な名前ですよね。舍人糠蟲は連姓を賜り、またかなり高い位をもらい、死後、壬申の乱の功績を理由にさらに高い位を貰っています。しかし、日本書紀にはその活躍の記述がありません。

舎人を率いた人物ではないか?と思われますが、詳細は分かりません。
氷上夫人
藤原大臣ということは藤原鎌足の娘。鎌足は言わずと知れた天智天皇(中大兄皇子)の側近中の側近。鎌足は壬申の乱までに死んでいますから、ここで藤原鎌足の娘である氷上夫人を特別に記述する意味ってのはなんなのかと思います。
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