天武天皇(九十)周芳国の赤亀・氏上を定めて理官へ

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天武天皇(九十)周芳国の赤亀・氏上を定めて理官へ

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原文

九月丁酉朔己亥、遣高麗新羅使人等共至之拜朝。辛丑、周芳国貢赤龜、乃放嶋宮池。甲辰、詔曰、凡諸氏有氏上未定者、各定氏上而申送于理官。庚戌、饗多禰嶋人等于飛鳥寺西河邊、奏種々樂。壬子、篲星見。癸丑、熒惑入月。

現代語訳

(即位10年)9月3日。高麗と新羅に派遣した使者たちが、ともに到着して朝廷で拝礼しました。
9月5日。周芳国(スワノクニ=現在の山口県東部)が赤亀を献上しました。嶋宮(シマノミヤ=飛鳥の宮)の池に放ちました。
9月8日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「すべての諸々の氏族の氏上(コノカミ=氏族の代表者)がまだ定まっていないならば、それぞれが氏上を定めて、理官(オサムルツカサ=治部省?=氏族を管理したり、その他にも色々とする部署、現代の会社で言うところの人事部と総務部を一緒にしたようなところ)に申し送りをしなさい」
9月14日。多禰嶋(タネノシマ=種子島)の人たちを、飛鳥寺の西の川辺で宴会をしてもてなしました。種々の楽(ウタマイ=歌と舞)を奏じました。
9月16日。彗星(ハハキボシ)が見えました。
9月17日。熒惑(ケイゴク=火星の事)が月に入りました。
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解説

周芳国
ふりがなが「スワ」となっています。普通は「スオウ」です。周防というのが一般的な書き方です。ところで諏訪国というのが現在の長野県にありました。諏訪の「ワ」を音読みすると「ホウ」で、周防の「オウ」も「ホウ」なのです。つまり、周防と諏訪は、もともとは「同じ名前」だったわけです。
だから何だと突っ込まれそうですが、おそらく「同じ文化」か「同じ氏族」が、流れ流れて諏訪にたどり着いて、同じ地名となったのだと思われます。そのつながりの一つが「タケミナカタ」です。
タケミナカタは国譲りの際に、追われて諏訪に流れ着いたとされる出雲神です。このタケミナカタの「ミナカタ」はそもそもは「ムナカタ」だったのではないかと言われています。九州の宗像大社のムナカタです。

つまり、九州のムナカタと周防・諏訪、ここに大きな文化のつながりがあったのだということです。海運の貿易のつながりでしょうね。
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