天武天皇(九十四)新城の地形・新字1部44巻・百寮の服

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天武天皇(九十四)新城の地形・新字1部44巻・百寮の服

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原文

三月甲午朔、命小紫三野王及宮內官大夫等遣于新城令見其地形、仍將都矣。乙未、陸奧国蝦夷廿二人賜爵位。庚子、地震。丙午、命境部連石積等、更肇俾造新字一部卅四卷。己酉、幸于新城。辛酉、詔曰「親王以下百寮諸人、自今已後、位冠及襅褶脛裳、莫着。亦、膳夫・采女等之手繦・肩巾(肩巾此云比例)並莫服。」是日詔曰、親王以下至于諸臣、被給食封、皆止之、更返於公。是月、土師連眞敷卒、以壬申年功贈大錦上位。

現代語訳

(即位11年)3月1日。小紫(ショウシ)の三野王(ミノノオオキミ)と宮内官大夫(ミヤノウチノツカサノカミ)たちに命じて、新城(ニイキ)に派遣して、その地形を見ました。それで都を作ろうとしました。
3月2日。陸奥国(ミチノクノクニ)の蝦夷22人に爵位を与えました。
3月7日。地震がありました。
3月13日。境部連石積(サカイベノムラジイワツミ)たちに命(ミコトノリ)して、初めて新字1部44巻を作らせました。
3月16日。天武天皇が新城(ニイキ)に行きました。
3月28日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「親王から下、百寮(ツカサツカサ=役人)の人たち、今から後、位冠(クライカブリ)と襅(マヘモ=前掛け)・褶(ヒラオビ)・脛裳(ハバキモ=袴の一種)は着てはいけない。また、膳夫(カシワデ=料理人)・采女(ウネメ=氏族から仕えている娘)の手繦(タスキ)・肩巾(ヒレ)
肩巾は比例(ヒレ)と言います。

を一緒に着てはいけない」
この日に詔(ミコトノリ)して言いました。
「親王から下、諸臣(マヘツキミタチ=臣下たち)まで、給付した食封(ヘヒト)は、皆、やめて公(オオヤケ)に返しなさい」
この月に土師連眞敷(ハジノムラジマシキ)は亡くなりました。壬申の年の功績を持って大錦上位を贈りました。
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