天武天皇(九十七)隼人の相撲・膳臣摩漏の死

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天武天皇(九十七)隼人の相撲・膳臣摩漏の死

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原文

秋七月壬辰朔甲午、隼人、多來貢方物。是日、大隅隼人與阿多隼人相撲於朝庭、大隅隼人勝之。庚子、小錦中膳臣摩漏、病。遣草壁皇子尊・高市皇子而訊病。壬寅、祭廣瀬龍田神。戊申、地震。己酉、膳臣摩漏、卒。天皇驚之大哀。壬子、摩漏臣、以壬申年之功贈大紫位及祿、更皇后賜物、亦准官賜。丙辰、多禰人・掖玖人・阿麻彌人、賜祿各有差。戊午、饗隼人等於明日香寺之西、發種々樂、仍賜祿各有差。道・俗、悉見之。是日、信濃国・吉備国並言、霜降亦大風、五穀不登。

現代語訳

(即位11年)秋7月3日。隼人(ハヤヒト)は大勢来て、方物(クニツモノ=国の特産品)を献上しました。この日に大隈(オオスミ)の隼人と阿多(アタ)の隼人が朝廷で相撲を取りました。大隈の隼人が勝ちました。
7月9日。小錦中の膳臣摩漏(カシワデノオミマロ)は病気になりました。草壁皇子尊(クサカベノミコノミコト)・高市皇子(タケチノミコ)を派遣して、病気の見舞いをさせました。
7月11日。広瀬と竜田の髪を祭りました。
7月17日。地震がありました。
7月18日。膳臣摩漏(カシワデノオミマロ)が亡くなりました。天皇は驚いてとても悲しみました。
7月21日。摩漏臣に、壬申の年の功績を持って、大紫位(ダイシノクライ)と禄(モノ)を贈りました。また皇后も物を与えました。官の喪の贈り物になぞらいました。
7月25日。多禰人(タネノヒト=種子島の人)・掖玖人(ヤクノヒト=屋久島の人)・阿麻弥人(アマミノト=奄美大島の人)に禄(モノ)を与えました。それぞれに品がありました。
7月27日。隼人たちを飛鳥寺の西で宴会してもてなしました。種々の楽(ウタマイ=歌と舞)を行いました。なお、禄(モノ)を与え、それぞれに品がありました。道俗(オコナイヒトシロキヌ=出家した人も世俗の人もみんな)をみんな、見ました。この日に信濃国・吉備国は一緒に言いました。
「霜が降り、大風吹いて、五穀が実りませんでした」
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解説

膳臣摩漏
功臣で壬申の乱で功績があるとしていますが、具体的な壬申の乱の活躍の記述は見られません。
多禰人・掖玖人・阿麻彌人
この時点でも新羅と高麗のつながりがあるのですが、種子島・屋久島・奄美大島のルートでの交易にスライドしていくのでしょうね。
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