神功皇后(日本書紀)
投稿:2015年01月27日 更新:2015年01月27日スポンサードリンク
要約
事件仲哀天皇即位9年2月 仲哀天皇が筑紫の橿日宮で崩御。
仲哀天皇即位9年3月 仲哀天皇が死んだ理由を神に問う。神を祀ると熊襲が服属した。羽白熊鷲の征伐。山門県の田油津媛の誅殺。
仲哀天皇即位9年4月 火前国の松浦県での誓約。儺の河の溝。橿日浦で神託を受けて皇后が神をミズラに結う(男装を意味する)。
仲哀天皇即位9年9月 武器兵士が集まらないで三輪を祀る。朝鮮半島の調査。戦争の準備。
仲哀天皇即位9年10月 和珥津から朝鮮に出発。新羅は朝貢を約束する。
仲哀天皇即位9年12月 応神天皇が生まれる。
仲哀天皇即位10年2月 穴門豊浦宮に移動し、仲哀天皇の殯を行い、大和へ移動。麛坂王・忍熊王が謀反のために山稜を作るふりをして兵を集める。東国でも兵を起こす。二人は菟餓野で誓約の狩をし、失敗して麛坂王が死亡。忍熊王は住吉に軍を移す。皇后は紀伊水門から難波へ。その途中、船が進まない。神を祀ることで問題を解決。忍熊王は菟道へ。皇后は日高で応神天皇と再会。忍熊王征伐のために小竹宮へ。常夜の現象が起きる。理由は別の神社の神官を合葬したから。別にすることで解決。
仲哀天皇即位10年3月 武内宿禰が謀略で忍熊王を誅殺。
神功皇后摂政1年10月 神功皇后が摂政となる。
摂政3年1月 応神天皇を皇太子に。磐余に都を移す(若桜宮)。
摂政5年3月 葛城襲津彦を欺いて、新羅の人質の微叱許智伐旱が帰国。
摂政13年2月 武内宿禰が応神天皇を連れて角鹿の笥飯大神を参拝。
摂政46年3月 斯摩宿禰を卓淳国(任那の一国)に派遣。
摂政47年4月 百済の朝貢。新羅も調を持ってくる。百済の使者は新羅に幽閉され、貢物を奪われていた。皇后は新羅の罪を問う。
摂政49年3月 荒田別と鹿我別と久氐が百済の将の木羅斤資・沙々奴跪とともに新羅を討つ。
摂政50年2月 荒田別たちが帰国。
摂政50年5月 千熊長彦と久氐が百済から帰国。
摂政51年3月 百済が久氐を派遣して朝貢。神功皇后が百済を厚遇するように命じる。千熊長彦が久氐とともに百済に。
摂政52年9月 久氐が千熊長彦とともに日本に。七枝刀・七子鏡を献上。
摂政55年 百済の肖古王が死亡。
摂政56年 百済の王子の貴須が王に。
摂政62年 新羅が朝貢しないので葛城襲津彥に新羅を征伐させる。百済記によると葛城襲津彥は新羅に美女を送られて寝返り、加羅国を討つ。天皇の怒りを買い、その後、自殺したとも。
摂政64年 百済の貴須王が死亡。枕流王が次の王に。
摂政65年 百済の枕流王が死亡。辰斯が王に。
摂政69年5月 神功皇后が崩御(100歳)。
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