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神功皇后
漢字・読み | ジングウコウゴウ |
別名 | オキナガタラシヒメ命(息長足姫命) |
概要
第14代仲哀天皇の后であり、ホンダワケ命(第15代応神天皇)の母親。朝鮮半島の制圧を神より命じられたのにも関わらず無視して死んだ仲哀天皇に変わり、妊娠したままで朝鮮へ出兵し、その後出産したことから、聖母であり武芸の神として祀られる。応神天皇が八幡様と同一視されることから全国の八幡神社で、一緒に祀られていることが多い。また三韓出兵(朝鮮への出兵)の際に関わった住吉三神、宗像三女神と一緒に祀られることも多い。
陰が薄い仲哀天皇
夫である仲哀天皇が死後、ホンダワケ(応神天皇)を生んでいます。本来、ホンダワケ命は仲哀天皇の子供であるにも関わらず物語(古事記日本書紀)の中でも、神功皇后は神との間に子を作ったという聖母の扱いに変わり、応神天皇は神と人の子という扱いになります。応神天皇は長子ではなく、異母兄が何人かいることから、応神天皇――つまりその後の応神天皇の子孫である記紀が書かれた時代の天皇――の正当性を主張する意味もあったのでしょう。
ただし、女性が神との間に子供を作り、父親は影が薄いというのはキリストにもあるようによくある神話・伝承のパターンでもあります。
陰が薄い仲哀天皇
夫である仲哀天皇が死後、ホンダワケ(応神天皇)を生んでいます。本来、ホンダワケ命は仲哀天皇の子供であるにも関わらず物語(古事記日本書紀)の中でも、神功皇后は神との間に子を作ったという聖母の扱いに変わり、応神天皇は神と人の子という扱いになります。応神天皇は長子ではなく、異母兄が何人かいることから、応神天皇――つまりその後の応神天皇の子孫である記紀が書かれた時代の天皇――の正当性を主張する意味もあったのでしょう。
ただし、女性が神との間に子供を作り、父親は影が薄いというのはキリストにもあるようによくある神話・伝承のパターンでもあります。
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物語・由来
仲哀天皇の死
九州南部の豪族、熊曾族(クマソ)を討伐しようとした際に、神功皇后が占いをすると、「西方に金銀豊かな国がある。そこを服属させて与えよう」と神託があった。ところが仲哀天皇はそれを信じず――朝鮮半島に価値を見なかった、もしくは信じなかった――予定通りに熊曾族と戦争を始めたところ、急死した。
仲哀天皇をモガリの宮に収めて、もう一度占いをして神意を伺うと、「皇后の腹の御子が国を治めるべき」と神託があった。神功皇后は神に名を尋ねると、「神託はアマテラス大神の意思、伝えるよう命じられたのは住吉三神(住吉の三前大神)である」と答えた。
朝鮮半島出兵へ
神功皇后は住吉三神とともに出兵し新羅を平定。三国史記という朝鮮側の資料にも「倭人の兵が来た」というのは非常にたくさん記述があるので、出兵があったのは事実。朝鮮での戦争中に出産してはいけないと、石に祈って出産を遅らせた。
帰国後には応神天皇の異母兄との戦い
帰国し筑紫の国で出産。近畿に帰る途中で、応神天皇を亡きものにしようと異母兄である忍熊皇子・香坂皇子を破って帰国。幼い応神天皇の摂政として政治を取り行った。
九州南部の豪族、熊曾族(クマソ)を討伐しようとした際に、神功皇后が占いをすると、「西方に金銀豊かな国がある。そこを服属させて与えよう」と神託があった。ところが仲哀天皇はそれを信じず――朝鮮半島に価値を見なかった、もしくは信じなかった――予定通りに熊曾族と戦争を始めたところ、急死した。
仲哀天皇をモガリの宮に収めて、もう一度占いをして神意を伺うと、「皇后の腹の御子が国を治めるべき」と神託があった。神功皇后は神に名を尋ねると、「神託はアマテラス大神の意思、伝えるよう命じられたのは住吉三神(住吉の三前大神)である」と答えた。
朝鮮半島出兵へ
神功皇后は住吉三神とともに出兵し新羅を平定。三国史記という朝鮮側の資料にも「倭人の兵が来た」というのは非常にたくさん記述があるので、出兵があったのは事実。朝鮮での戦争中に出産してはいけないと、石に祈って出産を遅らせた。
帰国後には応神天皇の異母兄との戦い
帰国し筑紫の国で出産。近畿に帰る途中で、応神天皇を亡きものにしようと異母兄である忍熊皇子・香坂皇子を破って帰国。幼い応神天皇の摂政として政治を取り行った。
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性格・能力
石で出産を遅らせる
妊娠してから朝鮮半島に出向いた神功皇后は出産を遅らせるために、美しい石を腰につけて出産を遅らせるように祈ったところ、筑紫国に帰国してから出産できるほど遅らせることが出来た。妊娠期間は15カ月。また石で産道を塞いで出産を遅らせたという表現もあります(コッチの方が面白い)。また15カ月という妊娠期間は異常として、臣下である武内宿禰(タケノウチノスクネ)との子供ではないかとする説もありますが、全体が「神話的」なので、ざっくり考えるべきだと思いますね。
九州に帰国後、幟(のぼり)を立てた
九州に帰国後、8本の幟を立てたことから、八幡……八幡信仰が始まったという伝承がありますが、八幡様はそれ以前からあった地域の信仰とも言われています。
妊娠してから朝鮮半島に出向いた神功皇后は出産を遅らせるために、美しい石を腰につけて出産を遅らせるように祈ったところ、筑紫国に帰国してから出産できるほど遅らせることが出来た。妊娠期間は15カ月。また石で産道を塞いで出産を遅らせたという表現もあります(コッチの方が面白い)。また15カ月という妊娠期間は異常として、臣下である武内宿禰(タケノウチノスクネ)との子供ではないかとする説もありますが、全体が「神話的」なので、ざっくり考えるべきだと思いますね。
九州に帰国後、幟(のぼり)を立てた
九州に帰国後、8本の幟を立てたことから、八幡……八幡信仰が始まったという伝承がありますが、八幡様はそれ以前からあった地域の信仰とも言われています。
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神社や関連する土地
出自
古事記による出自
父開化天皇
母意祁都比売命(オケツヒメノミコト)
父日子坐王(ヒコイマス王)
母袁祁都比売命(オケツヒメ命)
父大筒木真若王(オホツツキマワカノミコ)
母丹波の阿治佐波毘売(アヂサハビメ)…伊理泥王(イリネノミコ=大筒木真若王の弟)の娘
父迦邇米雷王(カニメイカヅチノミコ)
母高材比売(タカキヒメ)…丹波の遠津臣(トホツオミ)の娘
父息長宿禰王(オキナガノスクネノミコ)
母葛城の高額比売(タカヌカヒメ)…アメノヒボコの子孫
日本書紀による出自
父気長宿禰王(オキナガスクネノオオキミ)…開化天皇のひ孫
母葛城高顙媛(カツラキノタカヌカヒメ)
父開化天皇
母意祁都比売命(オケツヒメノミコト)
日子坐王(ヒコイマスミコ)
父日子坐王(ヒコイマス王)
母袁祁都比売命(オケツヒメ命)
父大筒木真若王(オホツツキマワカノミコ)
母丹波の阿治佐波毘売(アヂサハビメ)…伊理泥王(イリネノミコ=大筒木真若王の弟)の娘
迦邇米雷王(カニメイカヅチノミコ)
父迦邇米雷王(カニメイカヅチノミコ)
母高材比売(タカキヒメ)…丹波の遠津臣(トホツオミ)の娘
息長宿禰王(オキナガノスクネノミコ)
父息長宿禰王(オキナガノスクネノミコ)
母葛城の高額比売(タカヌカヒメ)…アメノヒボコの子孫
日本書紀による出自
父気長宿禰王(オキナガスクネノオオキミ)…開化天皇のひ孫
母葛城高顙媛(カツラキノタカヌカヒメ)
気長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト=神功皇后)
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