三国史記

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三国史記

漢字・読みサンゴクシキ
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概要

まとめ
新羅・百済・高句麗の時代の史書。書いたのは高麗の時代。成立は12世紀。
●日本の古事記と日本書紀は8世紀のはじめ。
●三国史記は一部の歌は朝鮮語を漢字で書いているが、ほぼ全部を漢文で書かれている。
●古事記は漢字で書かれた大和言葉。日本書紀は一応は漢文。
●漢文で書かれているために、漢字の読めない現代の朝鮮人には読めない。朝鮮人の歴史の改変の原因の一つ。

朝鮮半島には古代、新羅・高句麗・百済の三国がありました。これが朝鮮半島の「三国時代」です。その後半島を新羅が統一、百済と高句麗は滅んでしまいます。ところが、その新羅は腐敗し統治能力が著しく低下してしまい、後高句麗と後百済が発生します。これが「後三国時代」です。その後高句麗が「高麗」に発展し、半島全体を統一します。

三国史記はこの三国時代から後三国時代を経て、高麗によって統一されるまでについて書いてあるのが「三国史記」です。
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物語・由来

この三国史記を書いたのは「金富軾(キム・プシク【きんふしょく】)1075年-1151年」。金は高麗の実力者。編纂したのは官僚を引退してから。

三国史記がイマイチ有名ではない理由は、名前が「三国志」に似ているから、ではなくて、韓国政府や学会がこの本を「信用できない」とレッテル張りをしているから、というのもあります。

朝鮮の人にとって隠したい過去?
三国史記には古代の朝鮮半島には多くの日本人や中国人が住んでいたことが描かれています。ところが、これが朝鮮の人にとって不都合らしいのです。といっても、北朝鮮の学者は「古代の半島に日本人が居た」ということは認めていますし、半島の古代の王族に日本人が居たことも認めています。それは、別にたいした問題ではないからです。古代の朝鮮半島の王が日本人だからといって、どうということは無いのです。

ところが「日本に文化を伝えたのは韓国」、としたい韓国政府にとって、それはとても不都合のようです。
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三国史記の正統性

三国史記は主に新羅の――ひいては高麗の正当性を描いています。新羅は国力が衰えて、最後は高麗に「国を譲り渡し」ます。

当時、新羅は後百済など統治能力が下がっていたとはいえ、朝鮮半島を統一しています。この新羅から高麗へと「半島を統治する正当性」が譲られたことをハッキリすることが、この三国史記のテーマとなっています。

韓国は三国史記には嘘が多い、としていますが、日本や中国の歴史書をみれば分かるように、神話はともかくとしても、記事は事実と考えて呼んだ方が良いですし、「これは嘘」「これは事実」と読み手の勝手にして、判断してしまうと、どんな解釈だって成立してしまいます。史書――特に当時の朝廷が編纂したのであれば、ある程度の加工があったとして、記事を読んだ方がいいでしょう。すべてが事実と考えるのはおかしいですが、全否定したり、都合のよいところをかいつまんで事実とするのは危険です。

漢文で書かれているので半島の人には読めない
朝鮮半島の最古の史書ではありますが、当時は当然ハングル語などなく、漢文で書かれています。すでに漢字を捨てた朝鮮半島の人にとって、三国史記は時間と共に更に読めない本となっています。
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