新羅(シラギ・シラキ)

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新羅

漢字・読みシラギ・シラキ
別名鶏林・斯羅・新羅奇・新良貴・志羅紀
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概要

新羅(シラキ・シラギ)は朝鮮半島にあった国家のこと。成立は四世紀。10世紀に高麗によって滅亡。韓国の国定教科書では新羅の成立は紀元前57年としているが、これは高麗の史書の三国史記(12世紀に成立)の記述に基づいたもの。三国史記の建国初期の記述は日本の古事記・日本書紀でいうところの「神代」にあたり、これを「史実」と見るのは難しい。

後漢書・三国志・晋書によると、秦の始皇帝の時代に労役から逃げた人が朝鮮半島にやって来て出来たのが「辰韓(シンカン)」。辰韓の土地は後の百済の地域にあった「馬韓(バカン)」が土地を分け与えたと史書にはあります。よって辰韓は「秦韓」とも書いた。となると新羅は中国人の国となってしまいます。

辰韓は「国家」ではなく、幾つかの同じ文化の村が集まった地域でした。その中から有力な国が発生します。それが斯蘆国(シロ・シラ・サロ)です。この斯蘆国が辰韓を統一しました。国の名前は朴氏のときに斯蘆国。昔氏で鶏林。金氏のときに新羅になったと三国史記にあります。

新羅をシラギと濁って読むようになるのは、奈良時代以降で、それ以前は「シラキ(新羅奇・新良貴・志羅紀)」と読んでいました。ギには「奴」というニュアンスがって、朝鮮半島の領地を奪われた日本が蔑む意味でそう呼んだのではないか?と思われます。

新羅の語源はおそらくは斯蘆(シラ)に「キ」です。この「キ」は「城」という意味だと思われます。ただ「シラギ」と「ギ」が濁るのは「新羅」+「奴」というニュアンスがあるからというのが定説です。どちらにしても日本が敵視していたのは間違いないことです。
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物語・由来

第八段一書(四)新羅国・曾尸茂梨(ソシモリ)に
このときにスサノオは息子の五十猛神(イタケルノカミ)を連れて、新羅国に降り、曾尸茂梨(ソシモリ)に辿り着きました。
そこでスサノオが言いました。
「この土地に、わたしは居たくない」
それで土で船を作って、それに乗って東に渡り、出雲の簸の川(ヒノカワ)の川上にある鳥上之峯(トリカミノミネ)に辿り着きました。

崇神天皇(二十四)依網池・苅坂池・反折池を造る(日本書紀)
即位65年秋7月。任那国(ミマナノクニ)が蘇那曷叱知(ソナカシチ)を派遣して朝貢してきました。任那は筑紫から二千里あまり。北へ海を隔てて、鶏林(シラキ=新羅)の西南にあります。

新羅の国に押し騰りて
新羅の国王は恐ろしくなり
「これより
天皇の命令に従い、
馬飼いとして、毎年船を並べて、船が乾く暇も無く、舵が乾くことも無く、天地の続く限り、おつかえ致します」
と言いました。

百済の朝貢
建内宿禰が新羅人を率いて、百済池を作りました。
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