神武東征(古事記)
投稿:2013年03月13日 更新:2013年03月13日スポンサードリンク
要約
神武天皇が九州から畿内へと遠征し、天下を治める経緯と皇后を得て、死亡し、次の天皇である綏靖天皇(スイゼイテンノウ)にバトンタッチするまでがまとめられています。神武天皇は九州の日向から陸伝いに大阪府あたりに移動して、その後紀伊半島を南下、熊野から大和へと向かいます。この経路が「壬申の乱」での大海人皇子(のちの天武天皇)の経路と似ているとか似ていないとかという話もありますが、まぁ、置いておいて。
初代神武天皇から9代後、10代崇神天皇の時代になると、記述に「徳」という文字が見られるようになります。これは儒教の影響です。ところが神武天皇にはその記述が見られない。ということは神武天皇の記述は儒教が伝来する以前に書かれたものです。ということは神武天皇の記述は、「事実かどうかはともかく記述自体は古い」と考えるべきではないかと思うのです。
そう考えて読んでみてください。
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