カムヌナカワミミの勇気

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カムヌナカワミミの勇気

漢字・読みタケヌナカワミミノユウキ
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原文

ここにその御子聞き知りて驚き、すなはち当芸志美美(タギシミミ)を殺さむとしたまひし時、神沼河耳命(カムヌナカハミミミコト)、その兄 神八井耳命(カムヤヰミミノミコト)に白さく、「汝ね、汝命、兵を持ちて入りて、当芸志美美(タギシミミ)を殺したまへ」とまをしき。故、兵を持ちて入りて殺さむとせし時、手足わななきて、得殺したまはざりき。故、ここにその弟 神沼河耳命(カムヌナカハミミミコト)、その兄の持てる兵を乞ひ取りて、入りて当芸志美を殺したまひき。故、またその御名を称へて、建沼河耳命(タケヌナカハミミノミコト)と謂ふ。
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現代文訳

そのことを聞いた皇子たちは、驚いてすぐに当芸志美美(タギシミミ)を殺そうとしました。神沼河耳命(カムヌナカハミミノミコト)は兄である神八井耳命(カムヤイミミノミコト)に言いました。

「兄よ
あなたが武器を持って入って、当芸志美美(タギシミミ)を殺してください」

そこで兄である神八井耳命(カムヤイミミノミコト)は武器を持って入って殺そうとしましたが、手足が震えて、殺すことが出来ませんでした。そこで弟である神沼河耳命(カムヌナカハミミノミコト)は兄の持っていた武器をもらい受けて、入って当芸志美美(タギシミミ)を殺しました。
それで、その名を称えて建沼河耳命(タケヌナカハミミノミコト)といいます。
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解説

タギシミミは神武天皇の皇后であるイスケヨリヒメを娶りました。タギシミミは神武天皇が九州の日向の阿多の小椅君(オバシノキミ)の妹の阿比良比売(アヒラヒメ)と結ばれて産まれた子で、イスケヨリヒメは義母・継母で血のつながりはありません。神武天皇が九州から東征して、天皇になってからイスケヨリヒメを娶ったならば、タギシミミとイスケヨリヒメは同年代か、下手するとイスケヨリヒメの方が若い可能性すらあります。
正当な後継者は誰か?
冷静に考えれば、タギシミミは神武天皇の子供なんだから、次の天皇になっても何にも不思議じゃないです。しかし、歴史は神武天皇とイスケヨリヒメの子の綏靖天皇。しかも、末子です。

儒教的な考えでいけば、後継はタギシミミです。長男ですからね。でも、実際は末子の綏靖天皇。日本はおそらくこの時代は儒教の思想を持っていなかったのでしょう。しかし、のちの時代では儒教の視点を持つようになり、末子が後継者になるのは不自然に感じるようになったから、「タギシミミが殺そうとした」「兄は怖気付いてタギシミミを殺せなかった」「弟が殺した」「だから弟が天皇になった」という物語がついた、のかもしれません。
いや、史実かもしれないのですよ。

個人的コラム

カム(神)からタケ(建)へ。タケは「ヤマトタケル」「イズモタケル」「ヤソタケル」と同じで「強い男」「英雄」という意味です。

うがった見方かもしれませんが、「神」という言葉には「神」そのものではなく「神に仕える」くらいの意味合いしかなかったのかな。

神という字は「示」偏に「申」という字です。示すは供え物である「肉」を置いた「台」を表し、「示」の下部分の二つの「点」は、肉から滴る血とされます。この肉が何の肉かはさておき。

神という字は、供え物をして人ならぬモノ(=物の怪)に申し上げることを表し、「GOD」というよりは「神官」「巫女」といった神職に近い意味でした。

だから神(カム)よりも強い英雄を表す「タケ」の方が意味があったんじゃないかな、と思うのです。
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