平安に統治するために東へ

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平安に統治するために東へ

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原文

神倭伊波礼毘古命、そのいろ兄五瀬命と二柱、高千穂宮に坐して議りて云りたまはく、「何れの地に坐さば、平らけく天の下の政を聞こしめさむ。なほ東に行かむと思ふ」とのりたまひて、即ち日向より発ちて筑紫に幸行でましき。

現代語訳

神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ命)はその兄の五瀬命(イツセ命)と二柱で、高千穂宮(タカチホノミヤ)に居て、相談して言いました。
「どこの土地ならば、平安に天下を統治できるだろうか?
やはり東に行こうと思う」
すぐに、日向から出発して筑紫に行きました。
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解説

カムヤマトイワレビコは後日に神武天皇となります。イツセ命はカムヤマトイワレビコのお兄ちゃん。どちらも、母親はタマヨリヒメ、父親はウガヤフキアエズです。ちなみにイワレビコの兄弟には他にイナヒ命とワケヌ命がいますが、この二柱は常世の国と海原に去っています。日本書紀では神武東征の途中で離脱する形で異界(常世の国・海原)へ去ります。

高千穂は?
高千穂・日向というと、現在の大隅・薩摩など九州東南部の宮崎・鹿児島を指しています。しかし日向は「日が向く」という程度の意味、高千穂は「高い場所」という程度の意味合いで、特定の地を指しているわけではない―――と書いたのですが、ここではこの筑紫に行く以上は九州南部を明らかに指しています。
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