一百七十九萬二千四百七十餘歲

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即位前紀−2一百七十九萬二千四百七十餘歲

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原文

及年卌五歲、謂諸兄及子等曰「昔我天神、高皇産靈尊・大日孁尊、舉此豊葦原瑞穗国而授我天祖彦火瓊々杵尊。於是火瓊々杵尊、闢天關披雲路、驅仙蹕以戻止。是時、運屬鴻荒、時鍾草昧、故蒙以養正、治此西偏。皇祖皇考、乃神乃聖、積慶重暉、多歷年所。自天祖降跡以逮于今一百七十九萬二千四百七十餘歲。而遼邈之地、猶未霑於王澤、遂使邑有君・村有長・各自分疆用相凌躒。抑又聞於鹽土老翁、曰『東有美地、靑山四周、其中亦有乘天磐船而飛降者。』余謂、彼地必當足以恢弘大業・光宅天下、蓋六合之中心乎。厥飛降者、謂是饒速日歟。何不就而都之乎。」諸皇子對曰「理實灼然、我亦恆以爲念。宜早行之。」是年也、太歲甲寅。
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現代語訳

即位前紀−2
年齢が卌五歲(ヨソアマリイツツ=45歳)になったときに、イワレビコは兄たちと子供に言いました。
「昔、天津神と高皇産靈尊(タカミムスビミコト)と大日孁尊(オオヒルメムチノミコト)はこの豊葦原瑞穗国(トヨアシハラミズホノクニ)を、天祖(アマツオヤ)の彦火瓊々杵尊(ヒコホノニニギミコト)に授けた。火瓊々杵尊(ホノニニギノミコト)は天關(アマノイワクラ)を開き、雲路(クモヂ)をかき分け、仙蹕(ミサキハライ=先駆けの神)を走らせて、地上に降りました。そのときはまだ世界は開けていなかった。草昧(ソウマイ)の世だった。その暗い世の中で、正しい道を養い、この西の偏(ホトリ)の土地を治めた。皇祖皇考(ミオヤ=父・祖父・先祖)は乃神乃聖(カミヒジリ=神であり聖人)であり、慶(ヨロコビ=結婚や出産などの祝い事)を積み、暉(ヒカリ=尊敬されるような事)を重ね、多くの年月を経た。天祖(アマツミオヤ)が降臨してから、今、一百七十九萬二千四百七十餘歲(モモヨロズトセアマリ・ナナソヨロズトセアマリ・ココノヨロズトセアマリ・フタチトセアマリ・ヨホトセアマリ・ナナソトセアマリ)だ。
遥か遠くの地はまだ(天津神の)恩恵を得られていない。その地の邑(=大きい集落)には君(キミ)がいて、村(=小さい集落)には長(オサ)がいて、境界をつくって分かれて、互いに侵し合っている。
ところで鹽土老翁(シオツチノオジ)から聞いたのだが、
『東に美(ウマ)し国がある。青い山を四方に囲まれて、その中に天磐船(アマノイワフネ)に乗って飛んで降りた者が居る』とのこと。
思うに、その土地は必ずこの大きな事業を広め、天下に威光を輝かせるに相応しい場所だろう。六合(クニ=国)の中心となるだろう。
その飛び降りた者とは饒速日(ニギハヤヒ)だろう。その土地へと行って、都にしようではないか」
皇子たちは答えました。
「理實(コトワリ)灼然(イヤチコ)です(=もっともなことです)。わたしたちもそう思っていました。早く行きましょう」
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解説

急に言い訳がましいな
イワレビコが自分の正当性を急に主張。つまり、神の子だから、畿内へと向かう。なぜ畿内に向かうか? それはシオツチオジが「東に良い国がある」と言うし、アメノイワフネに乗って誰かが山の上に降り立った、しかもそれはニギハヤヒという遠い親戚だから。

つまり親戚を頼って、遠いヤマトの地を目指すわけですね。かなり穿(ウガ)った見方ではありますが。意外と本当かもしれません。

そして、後にはニギハヤヒの裏切りによって土地の名士であるナガスネヒコを倒します。ニギハヤヒはナガスネヒコの妹トミヤスビネ(登美夜須毘売)を娶っていたのに、裏切ったのです。ニギハヤヒ様々ですよ。
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