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ナガスネヒコ
別名 | 登美毘古 |
那賀須泥毘古・長髄彦(ナガスネヒコ)
物語・由来
神武東征の中で神武天皇一行を阻んだ大和の土着の氏族か神。神武天皇の兄のイツセ命に傷を負わせ、それが原因でイツセ命は死亡した。妹に登美夜毘売(トミヤビメ=日本書紀では三炊屋媛・長髄媛・鳥見屋媛)がいて、妹はニギハヤヒに娶られて、子供を設けていた。ナガスネヒコはニギハヤヒを天津神だと考えて、天皇に対抗したが、最後はそのニギハヤヒに裏切られて敗北して死んだ。
●古事記にはナガスネヒコが殺されたことが書かれていない。
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解説
日本書紀によれば「ナガスネ」は村の名前だと言う。つまりナガスネと言う土地の人物だから「ナガスネヒコ」と言うだけのこと。東京に住んでるから「東京太郎」といったところ。また日本書紀によると別名の「トミビコ」の「トミ」は「鳶(トビ)」が転訛したものだと書いてあります。鳶は神武東征の中で登場しているので、この説を信じるならば「トミ」と呼ばれるようになったのは神武東征の後、ってことになります。
ナガスネかトミか
古事記ではナガスネヒコで登場した後、名前がトミビコになって、もうナガスネには戻りませんでした。
個人的にはトミは「鳥が見る」でトミか、日本書紀の主張通りに「トビ」だったのだけど、神武天皇とは無関係で、鳥が穀物神を連れてくると言うその土地の神事を反映した存在だったんじゃないかと思います。つまりナガスネヒコは穀物神か、穀物神を祀る氏族のことじゃないかと。
ナガスネの意味
ナガスネが何の意味を持っているのかは分かりませんが、似たようなネーミングの人・神が他にも登場します。例えば「久米直の祖、名は七拳脛」や「景行天皇(三十)斧鉞を承り再拝し…」に登場する「七拳脛(ナナツカハギ)」です。ナナツカというのは拳7個分という意味で、案に「長い」って意味と同じです。となると「ナガスネ」とニュアンスは近いわけです。他に「孝徳天皇(六十四)大使の吉士長丹の遣唐使」の高田首根麻呂(タカタノオビトネマロ)の別名の「八掬脛(ヤツカハギ)」です。これもニュアンスは一緒です。
ナガスネかトミか
古事記ではナガスネヒコで登場した後、名前がトミビコになって、もうナガスネには戻りませんでした。
個人的にはトミは「鳥が見る」でトミか、日本書紀の主張通りに「トビ」だったのだけど、神武天皇とは無関係で、鳥が穀物神を連れてくると言うその土地の神事を反映した存在だったんじゃないかと思います。つまりナガスネヒコは穀物神か、穀物神を祀る氏族のことじゃないかと。
ナガスネの意味
ナガスネが何の意味を持っているのかは分かりませんが、似たようなネーミングの人・神が他にも登場します。例えば「久米直の祖、名は七拳脛」や「景行天皇(三十)斧鉞を承り再拝し…」に登場する「七拳脛(ナナツカハギ)」です。ナナツカというのは拳7個分という意味で、案に「長い」って意味と同じです。となると「ナガスネ」とニュアンスは近いわけです。他に「孝徳天皇(六十四)大使の吉士長丹の遣唐使」の高田首根麻呂(タカタノオビトネマロ)の別名の「八掬脛(ヤツカハギ)」です。これもニュアンスは一緒です。
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古事記からの引用
那賀須泥毘古との戦い
盾を取り出して戦いました
その国から出発して東へと向かいました。
浪速の渡(ナミハヤノワタリ)を通って白肩津(シラカタノツ)に船を泊めました。
そのときに、登美(トミ)の那賀須泥毘古(ナガスネヒコ)が兵を集めて待ち受けていて、戦争になりました。
浪速の渡(ナミハヤノワタリ)を通って白肩津(シラカタノツ)に船を泊めました。
そのときに、登美(トミ)の那賀須泥毘古(ナガスネヒコ)が兵を集めて待ち受けていて、戦争になりました。
盾を取り出して戦いました
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日本書紀からの引用
戊午年夏四月 退却の判断
十有二月癸巳朔丙申(一)長髄彦との再戦へ
十有二月癸巳朔丙申(三)櫛玉饒速日命を君主に
十有二月癸巳朔丙申(四)饒速日命は物部氏の祖先
そのとき長髄彦(ナガスネヒコ)が(神武天皇が大和へ来るという話を)聞いて言いました。
「それは天神子等(アマツカミノミコタチ)が来るのは、我が国を奪おうとしているに違いない」
それで(長髄彦は)侵略に対する兵を集めて、孔舍衞坂(クサエノサカ)で迎え撃ち、戦いになりました。その戦いで流れ矢が神武天皇の兄の五瀬命(イツセノミコト)の肱脛(ヒジハギ=ヒジのこと)に当たりました。
「それは天神子等(アマツカミノミコタチ)が来るのは、我が国を奪おうとしているに違いない」
それで(長髄彦は)侵略に対する兵を集めて、孔舍衞坂(クサエノサカ)で迎え撃ち、戦いになりました。その戦いで流れ矢が神武天皇の兄の五瀬命(イツセノミコト)の肱脛(ヒジハギ=ヒジのこと)に当たりました。
十有二月癸巳朔丙申(一)長髄彦との再戦へ
皇師(ミイクサ=天皇の軍)は長髄彦(ナガスネヒコ)を攻撃しました。何度も戦ったが、勝つ事は出来ませんでした。そのとき不意に、天陰(ヒシケ=空が暗くなる)て、氷雨(ヒサメ=冷たい雨もしくはヒョウやアラレ)が降りました。また金色の不思議な鳶(トビ)が現れて、飛んで来て、皇弓(ミユミ=天皇の弓)の弭(ハズ=弓の先端)に止まりました。その鳶は光り輝き、まるで流電(イナビカリ)のようでした。それで長髄彦(ナガスネヒコ)と軍卒(イクサノヒトドモ)は迷い惑って、戦意を失くしてしまいました。
長髄(ナガスネ)は元々は邑(ムラ)の名前です。それでそこの首長の名前になったのです。
長髄(ナガスネ)は元々は邑(ムラ)の名前です。それでそこの首長の名前になったのです。
十有二月癸巳朔丙申(三)櫛玉饒速日命を君主に
そのとき、長髄彦(ナガスネヒコ)はすぐに使者を派遣して、天皇に告げました。
「昔、天津神(アマツカミ)の子(ミコ)がいました。
天磐船(アマノイワフネ)に乗って天より降りて来ました。
その名を櫛玉饒速日命(クシタマニギヤハヒノミコト)といいます。
「昔、天津神(アマツカミ)の子(ミコ)がいました。
天磐船(アマノイワフネ)に乗って天より降りて来ました。
その名を櫛玉饒速日命(クシタマニギヤハヒノミコト)といいます。
十有二月癸巳朔丙申(四)饒速日命は物部氏の祖先
長髄彦(ナガスネヒコ)はすぐに饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の天羽々矢(アメノハハヤ)を一隻(ヒトハ=矢を一本)と步靫(カチユキ=矢を射れる筒がユキ、これを歩行用にしたものがカチユキ)を天皇(スメラミコト)に見せました。
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