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蓼津
漢字・読み | タデツ |
蓼津(タデツ)
物語・由来
古事記でも日本書紀でも神武天皇が東征に来たところをナガスネヒコが迎え撃ち、神武天皇が盾を使用したことが蓼津(タデツ)の由来となっています。これは記紀の中のこじつけで、本来は別の由来があったんじゃないかと思います。もしかするとその土地の近くの川べりに植物の蓼(タデ)が生えていたのかもしれません。
●ちなみに「蓼」という植物は古事記の「正妻スセリヒメへの別れ歌」で既出。歌の中で衣を染める染料として登場しています。蓼は別名「アイ」。藍染のアイです。染めると「濃い青」になります。服に色をつけることは、古代では政治的(かつ宗教的)な意味が強かったはず。蓼津という「字」は無意味ではないと思います。
●個人的には、盾も蓼も「宗教的」なもので、両者には共通点があったんじゃないかと思っています。
●個人的には、盾も蓼も「宗教的」なもので、両者には共通点があったんじゃないかと思っています。
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盾とは何か??
ところで「盾」という戦争で利用するものが古事記の中で登場するのはココが初めて。日本書紀では「盾」という記述はこれ以前からもあるんですが、どうも「盾」というのは戦争で使う防衛のためのものではなくて、宗教儀式で使うものではないかと。
日本書紀の記述でも「退却して草香之津(クサカノツ)に到着して、盾を揃え、並べ、雄誥(オタケビ)をあげました。」とあります。「退却して」、退却した先で盾を揃えて並べて雄叫びをあげているってことは、盾は戦争で利用するのではなく、宗教儀式で利用するんでしょう。似たような記述は「崇神天皇(十)墨坂神と大坂神(日本書紀)」にもあります。
●ただし古事記では「ここに御船に入れたる楯を取りて下り立ちたまひき。」とある。翻訳では「盾をとって降りて戦った」と訳していますが、前後の文から考えると微妙。筋から考えれば盾は戦争に使う道具だから、「戦った」のだと考えるんですが、古代においては違ったんじゃないでしょうか。日本書紀では退却後に盾を並べたとあるので、おそらく日本書紀の方が正確なんじゃないかと思います。まぁ、なんとも言えないですが。
日本書紀の記述でも「退却して草香之津(クサカノツ)に到着して、盾を揃え、並べ、雄誥(オタケビ)をあげました。」とあります。「退却して」、退却した先で盾を揃えて並べて雄叫びをあげているってことは、盾は戦争で利用するのではなく、宗教儀式で利用するんでしょう。似たような記述は「崇神天皇(十)墨坂神と大坂神(日本書紀)」にもあります。
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古事記からの引用
日本書紀からの引用
戊午年夏四月 退却の判断
すぐに軍(イクサ)を率いて退却しました。敵もまた攻めて来なかった。(神武天皇の軍は)退却して草香之津(クサカノツ)に到着して、盾を揃え、並べ、雄誥(オタケビ)をあげました。
それでその津(=港)を盾津(タテツ)と名付けて言うようになりました。今は蓼津(タデツ)というのは訛ったからです。
それでその津(=港)を盾津(タテツ)と名付けて言うようになりました。今は蓼津(タデツ)というのは訛ったからです。
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