長髄彦との再戦へ

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十有二月癸巳朔丙申(一)長髄彦との再戦へ

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原文

十有二月癸巳朔丙申、皇師遂擊長髄彦、連戰不能取勝。時忽然天陰而雨氷、乃有金色靈鵄、飛來止于皇弓之弭、其鵄光曄煜、狀如流電。由是、長髄彦軍卒皆迷眩、不復力戰。長髄、是邑之本號焉、因亦以爲人名。及皇軍之得鵄瑞也、時人仍號鵄邑、今云鳥見是訛也。昔孔舍衞之戰、五瀬命中矢而薨、天皇銜之、常懷憤懟、至此役也、意欲窮誅、乃爲御謠之曰、

現代語訳

12月4日。
皇師(ミイクサ=天皇の軍)は長髄彦(ナガスネヒコ)を攻撃しました。何度も戦ったが、勝つ事は出来ませんでした。そのとき不意に、天陰(ヒシケ=空が暗くなる)て、氷雨(ヒサメ=冷たい雨もしくはヒョウやアラレ)が降りました。また金色の不思議な鳶(トビ)が現れて、飛んで来て、皇弓(ミユミ=天皇の弓)の弭(ハズ=弓の先端)に止まりました。その鳶は光り輝き、まるで流電(イナビカリ)のようでした。それで長髄彦(ナガスネヒコ)と軍卒(イクサノヒトドモ)は迷い惑って、戦意を失くしてしまいました。
長髄(ナガスネ)は元々は邑(ムラ)の名前です。それでそこの首長の名前になったのです。
皇軍(ミイクサ)が鳶の吉兆を得てからは、この土地を「鳶の邑(トビノムラ)」と名付けるようになりました。今、「鳥見(トミ)」というのはこれ(=トビノムラ)が訛ったものです。
以前、孔舍衞(クサエ)での戦いで、五瀬命(イツセミコト)は矢に当たって薨(カムサ=神となって去った…つまり死んだ)りました。神武天皇はそのことをずっと忘れずにいて、常に憤懟(イクミウラムルコト=腹を立て恨んでいる)を抱いていました。この役(エダチ=戦闘)では怒りのままに窮誅(コロ=殺)そうと思っていました。それで歌を歌いました。
古語拾遺の対応箇所
古語拾遺15 神武天皇の東征
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解説

よく神武天皇が立ち、弓のトビが止まっている絵がありますが、その場面です。古事記にはトビが止まるシーンはありませんね。かっこいいのに。
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