古語拾遺15 神武天皇の東征

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古語拾遺15 神武天皇の東征

投稿日時:2019-04-01 18:42:24
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原文

逮于神武天皇東征之年 大伴氏遠祖日臣命 督將元戎 剪除兇渠 佐命之勳 無有比肩 物部氏遠祖饒速日命 殺虜帥衆 歸順官軍 忠誠之効 殊蒙褒寵 大和氏遠祖椎根津彦者 迎引皇舟 表績香山之巓 賀茂縣主遠祖八咫烏者 奉導宸駕 顯瑞菟田之徑 妖氣既晴 無復風塵 建都橿原 經營帝宅

現代語訳

神武天皇の東征の年になりました。大伴氏(オオトモ)の遠祖(=遠い先祖)である日臣命(ヒノオミノミコト)は元戎(オオツワモノ=大軍)の督将(イクサノキミ=将軍)として、兇渠(アタドモ=敵たち)をなぎ払い、取り除きました。命(キミ=神武天皇のこと)を補佐した勲功は比肩するものはありませんでした。物部氏(モノノベ)の遠祖の饒速日(ニギハヤヒ)は虜(アタ=敵)を殺して衆人を率いて、官軍(ミイクサ=神武天皇の軍隊)に帰順しました(=神武天皇に降り、合流した)。忠誠(タダシキ)ものなので褒寵(ミメグミ)として(神武天皇の身に)受けるものである。大和氏の遠祖の椎根津彦(シイネツヒコ)は天皇の乗った船を導き、その功績を香山(カグヤマ=香具山)の頂上に残しました。賀茂県主(カモノアガタヌシ)の遠祖の八咫烏(ヤタガラス)は宸駕(ミユキ=天皇が乗る乗り物)を導いて奉り、その瑞(ミズ=めでたいしるし)を菟田(ウダ)の道に残しました。妖気は晴れて、また、風・塵はない。橿原に都に建て、帝宅(オオミヤ=天皇の住居)を作りました。
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解説

大伴氏と日臣
日臣は日本書紀にしか登場しない。日本書紀では道案内したことをたたえて「道臣」と改名している。この辺りの記述は日本書紀と同じものがほとんど。日臣が倒した「敵」とは兄猾(エウカシ)と弟猾(オトウカシ)のことだろうと思われる。ただし日本書紀では冬十月癸巳朔(二)道臣命の密命と歌で、忍坂の大室で宴会を開いて不意打ちで征伐している。
物部氏と饒速日
物部氏の先祖とされるニギハヤヒは神武天皇より先に大和に降り立った高天原の太陽神。古事記・日本書紀では神武天皇と敵対していた長髄彦(ナガスネヒコ)を殺して帰順したので、饒速日が殺したのは長髄彦と思われます。
大和氏と椎根津彦
日本書紀によると椎根津彦は海で神武天皇一行を先導した国津神(地祇)の一柱。日本書紀では弟猾とともに変装して天香具山に占いに行かされています。海の神が大和の氏族の先祖ってことは、海から来た氏族ってことかもしれないが、単に海からの来訪神だっただけかもしれない。
賀茂県主と八咫烏
古事記・日本書紀には八咫烏の子孫の名前はない。新撰姓氏録には見られる。
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