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国津神
漢字・読み | クニツカミ |
概要
国津神の定義
日本には二種類の神が居ます。
一つは天津神。
もうひとつが国津神です。
このふたつは一般的には、
天津神=高天原系。
国津神=日本古来の神。
とされます。
国津神の種類
国津神は大きく分けると三つに成ります。葦原中国の土着の神と、元天津神で国津神になったもの、敵視された神々です。
一つは天津神。
もうひとつが国津神です。
このふたつは一般的には、
天津神=高天原系。
国津神=日本古来の神。
とされます。
国津神の種類
国津神は大きく分けると三つに成ります。葦原中国の土着の神と、元天津神で国津神になったもの、敵視された神々です。
天津神と国津神
神とは??
何処の国でも太陽や海といった自然を神と崇めていました。しかし、日本では少し事情が違います。日本人にとってあらゆる「物」は「霊」を宿しています。霊を宿すと言うよりは、霊力が高まって「形」を持った状態が「物」です。だから「物の怪」という言い方をすることもあります。
よく靖国神社の問題で、人間は死んだら皆、「神」になるという言い方をしますが、そもそもあらゆるものが最初から「神」というか「霊」であり、死ぬというのは形を失ったというだけなんです。
地祇
神という言葉は、「示」編に「申」すと書きます。「示」は祭壇に肉を置き、その肉から血が滴っている様子を指しています。つまり生贄・捧げものです。申すは「曰く」に一本の線が延びているように、これは天に「何かを言う」という意味を持っています。つまり神と言う字は「捧げものをして天にお願いをする」という意味を持っています。
さてその神に対して「民」と言う言葉は、目を針で突いて目をみえなくした人間、という象形文字です。つまり目の見えない…つまり馬鹿で言うことを聞くしかない人間、奴隷という意味です。
その民と神を結ぶのが「氏」です。民と氏の字が似ているのは民と氏の由来が非常に似ているからです。氏も目をつぶされた人間を由来していますが、こちらは「集団」を表しています。
この氏が神と民の橋渡しをしました。氏族です。氏族は民の願いを神に伝え、神の要望を民に伝えました。つまり宗教的指導者であり、支配者という言い方も出来ます。そんな氏族の中でも優秀なものは尊敬を集め、神のように崇められるようになります。その存在が「祇」です。
何処の国でも太陽や海といった自然を神と崇めていました。しかし、日本では少し事情が違います。日本人にとってあらゆる「物」は「霊」を宿しています。霊を宿すと言うよりは、霊力が高まって「形」を持った状態が「物」です。だから「物の怪」という言い方をすることもあります。
よく靖国神社の問題で、人間は死んだら皆、「神」になるという言い方をしますが、そもそもあらゆるものが最初から「神」というか「霊」であり、死ぬというのは形を失ったというだけなんです。
地祇
神という言葉は、「示」編に「申」すと書きます。「示」は祭壇に肉を置き、その肉から血が滴っている様子を指しています。つまり生贄・捧げものです。申すは「曰く」に一本の線が延びているように、これは天に「何かを言う」という意味を持っています。つまり神と言う字は「捧げものをして天にお願いをする」という意味を持っています。
さてその神に対して「民」と言う言葉は、目を針で突いて目をみえなくした人間、という象形文字です。つまり目の見えない…つまり馬鹿で言うことを聞くしかない人間、奴隷という意味です。
民(タミ)と神(カミ)という漢字は中国由来のものですが、「音」は日本由来のものです。「タミ」と「カミ」という「音」が似ているのは日本人の神と民の考え方は、これらの漢字の由来とは考え方が違うからでしょう。
その民と神を結ぶのが「氏」です。民と氏の字が似ているのは民と氏の由来が非常に似ているからです。氏も目をつぶされた人間を由来していますが、こちらは「集団」を表しています。
この氏が神と民の橋渡しをしました。氏族です。氏族は民の願いを神に伝え、神の要望を民に伝えました。つまり宗教的指導者であり、支配者という言い方も出来ます。そんな氏族の中でも優秀なものは尊敬を集め、神のように崇められるようになります。その存在が「祇」です。
●日本に漢字が広がった時期についてはまだハッキリとはしていません。5世紀には広がっていましたが、実際に伝わり、使用していたのはずっと前だったのかもしれません。
●漢字は日本の文化に大きな影響を与えましたが、古来の日本の文化の全てを漢字に置きかえることは必ずしも出来なかったはずです。
●上記のように神と民と氏という漢字から古代の日本の世界観を探ることが正しいのかは、正直疑問です。
●神・民・氏の漢字の由来よりも、カミとタミの音が似ていることの方が大事ではないか?と考えています。
●漢字は日本の文化に大きな影響を与えましたが、古来の日本の文化の全てを漢字に置きかえることは必ずしも出来なかったはずです。
●上記のように神と民と氏という漢字から古代の日本の世界観を探ることが正しいのかは、正直疑問です。
●神・民・氏の漢字の由来よりも、カミとタミの音が似ていることの方が大事ではないか?と考えています。
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地祇・国津神の発生
日本人は山を信仰していました。山から神が降りてきて田畑に宿って、実りをもたらし、山に帰っていくと考えていたからです。また山に降り注いだ雨が川となり、里に流れ、田畑を潤します。もちろん山で狩猟もしていたでしょう。
その山に古墳を作り、氏の死者を祀りました。そして氏族の子孫が祀り続けました。子孫が祀るという考えは道教や儒教の影響かと思われます。
これが地祇と呼ばれるようになります。地祇・国津神という言い方は高天原系の「天津神」「天神」に対する言い方です。では天神というのはどういうことかというと、自然現象を神格化したものです。
その山に古墳を作り、氏の死者を祀りました。そして氏族の子孫が祀り続けました。子孫が祀るという考えは道教や儒教の影響かと思われます。
古墳を作ったのが3世紀ともされますが、こういった考えを持ったことと古墳を作ったことが同時ということは考えにくい。それ以前から地祇という考えはあった。形を残して信仰しやすくしたのが古墳ということだろうと。
これが地祇と呼ばれるようになります。地祇・国津神という言い方は高天原系の「天津神」「天神」に対する言い方です。では天神というのはどういうことかというと、自然現象を神格化したものです。
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どっちが先?
そこで問題は天神と地祇のどちらが日本古来の信仰なのか??ということになります。
結局のところは分からない、ということです。
地祇の方が日本古来の世界観に根ざしているように見えますが、自然現象を神格化した神が、人間を神格化した神より後に入ってくるということは考えにくいです。
わたし個人は、全く別の考えを持っています。
日本は地形上神々がやってくる「神の吹き溜まり」です。神様は流れ着いてきます。最初の最初は自然現象の神を祀っていたとしても、次々にやってくる神との折り合いがつきません。これは相当昔の話でもしかすると一万年とかそのくらい前の話です。
そこで日本人は多神教という特殊な感覚を身につけます。多神教自体は珍しくないのですが、日本の場合は、開かれていて、外国からやってくる新しい神をどんどん取り込んでいくという妙な多神教です。
つまり天神地祇というものも、そういう流れ着いた神々(もしくは宗教世界観)の一つで、天神地祇という区分けも、そもそも存在して存在しないようなものだったのだろうというのが、個人的な意見です。
これによって日本人は国津神・天津神だけでなく、後には仏教やキリスト教すら飲み込んでしまいます。
結局のところは分からない、ということです。
地祇の方が日本古来の世界観に根ざしているように見えますが、自然現象を神格化した神が、人間を神格化した神より後に入ってくるということは考えにくいです。
わたし個人は、全く別の考えを持っています。
日本は地形上神々がやってくる「神の吹き溜まり」です。神様は流れ着いてきます。最初の最初は自然現象の神を祀っていたとしても、次々にやってくる神との折り合いがつきません。これは相当昔の話でもしかすると一万年とかそのくらい前の話です。
そこで日本人は多神教という特殊な感覚を身につけます。多神教自体は珍しくないのですが、日本の場合は、開かれていて、外国からやってくる新しい神をどんどん取り込んでいくという妙な多神教です。
つまり天神地祇というものも、そういう流れ着いた神々(もしくは宗教世界観)の一つで、天神地祇という区分けも、そもそも存在して存在しないようなものだったのだろうというのが、個人的な意見です。
これによって日本人は国津神・天津神だけでなく、後には仏教やキリスト教すら飲み込んでしまいます。
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