椎根津彥の進言

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十有一月癸亥朔己巳(二)椎根津彦の進言

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原文

天皇乃會諸將、問之曰「今、兄磯城、果有逆賊之意、召亦不來。爲之奈何。」諸將曰「兄磯城、黠賊也。宜先遣弟磯城曉喩之幷說兄倉下・弟倉下。如遂不歸順、然後舉兵臨之、亦未晩也。(倉下、此云衢羅餌。)」乃使弟磯城、開示利害。而兄磯城等猶守愚謀、不肯承伏。時、椎根津彦、計之曰「今者宜先遣我女軍、出自忍坂道。虜見之必盡鋭而赴。吾則駈馳勁卒、直指墨坂、取菟田川水、以灌其炭火、儵忽之間出其不意、則破之必也。」天皇善其策、乃出女軍以臨之。虜謂大兵已至、畢力相待。先是、皇軍攻必取、戰必勝、而介胃之士、不無疲弊。
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現代語訳

天皇はすぐに沢山の将軍を集めて、問いました。
「今、兄磯城(エシキ)はどうやら逆らう心がある。
呼び寄せても来ない。
どうしたらよいだろうか?」
将軍たちは言いました。
「兄磯城(エシキ)は賢い賊(アタ=敵)です。
まず弟磯城(オトシキ)を派遣して教え諭し、同時に兄倉下・弟倉下(エクラジ・オトクラジ)に説得させましょう。
もし、ついに帰順(まつろ=従う)わないならば、後に兵をあげて攻めても、遅くはないでしょう」
倉下は衢羅餌(クラジ)と読みます。

弟磯城(オトシキ)に利害(ヨキモアシキモ)を示させたのですが、兄磯城(エシキ)はそれでも愚かな謀(ハカリゴト=反逆の行動)を続け、従いませんでした。
椎根津彦(シイネツヒコ)が計略を言いました。
「今はまず、我らの女軍(メイクサ)を派遣して、忍坂(オシサカ)の道から出陣させます。すると敵はそれを見て、必ず鋭(トキツハモノ=先鋭部隊のこと?)を攻めて来るでしょう。わたしは強い兵を率いて、すぐに墨坂を目指し、菟田川の水を取り、その炭の火に注いで(火を消して)、儵忽(ニハカ=わずかな)な間に、敵の意表をつけば打ち破るのは間違いありません」
天皇はその策を褒め、すぐに女軍(メイクサ)を出兵させました。敵は皇軍の主力がそちらへと移動したと考えて、全兵力で迎え撃とうとしました。それで皇軍は攻めれば討ち取り、戦えば必ず勝った。(簡単に勝ったとはいえ)介胃之士(イクサノヒトドモ=甲冑の兵士)が疲れない訳ではなかった。
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性格・能力

天皇は意見を求める
天岩戸事件、国譲りの際でも、神々は話し合ってどうするのかを決めます。トップが全権を掌握するのではなく、意見を出し合って決めて、その決まり事を実行に移すのが、「天皇」だったり「アマテラス」や「高皇産靈尊(タカミムスビ)」のよう。これが「和」なんでしょうね。
宇陀川の水で火を消す?
九月甲子朔戊辰(一)天平瓮と嚴瓮と酒と嚴呪詛
八十梟帥(ヤソタケル)は女坂(メサカ)に女軍(メイクサ=女子の軍隊)を置きました。男坂(オサカ)に男軍(オイクサ=男の軍隊)を置きました。墨坂(スミサカ)に焃炭(オコシズミ=炭火)を置きました。

とあります。
この炭火を消したということです。
ということは、道を遮るように大量の「炭火」があって、それが燃えてて通れなかった、ということでしょう。しかし、このヤソタケルが炭火を置いたのが9月5日。椎根津彦(シイネツヒコ)が消したのは11月7日。二ヶ月も燃えっぱなしだったのかと。
うーん、違う解釈があるのかもしれない。
女軍(メイクサ)
女は巫女。
古代では神の意志によって戦争の勝敗が決められるので巫女は戦争においては大事だったと思われる。つまり女軍は戦争の「主力」。これが移動するということは軍全体が移動するというのが古代の「常識」だったのでしょう。
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