天岩戸

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天岩戸

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概要

まとめ
●天岩戸は日食説・冬至説とある
●わたしは、天岩戸は夏の…もしくは梅雨の長雨を止める神事だと考えています

物語・由来

スサノオの乱暴についに怒ったアマテラスは天岩戸に篭ってしまいます。すると世界は闇に包まれ、悪霊が飛び回るようになってしまいます。これでは世界は滅んでしまいます。

その後、神々の策略によってアマテラスは天岩戸から文字通り引っ張り出されます。そして天岩戸に戻らないように、注連縄がかけられます。注連縄は境界です。アマテラスが二度と籠らないようにするための、結界です。
雑記
●洞窟や箱に隠れた太陽神をおびき出す神話はインドのアッサムから北米カリフォルニアまで広くある。
●太陽神を鶏を鳴かせることでおびき出すのは中国南部からアッサムに見られる。
●東南アジアの「日食神話」には太陽と月の兄弟の下に素行の悪い妹弟がいて、その妹弟のせいで太陽が隠れたり、太陽・月の兄弟が死んで太陽・月そのものになるというものが多い。天岩戸神話に似ている。

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日食説

この世界が闇に包まれる「天変地異」は日食が元になっているという説があります。日食が起きたら、古代の人にとってそれは恐怖だったでしょう。部分日食ではそうでもありませんが、皆既日食となると、周囲は闇に包まれ、ヒンヤリとします。

この日食が西暦247年248年と日本であったとされます。
これが完全な皆既日食だったのかはちょっと。
ただ魏志の斎王記には247年3月24日に日食があったと記述があります。
この魏志がどこでの観測かは分かりませんが、ともかく日食はあったわけで、これが卑弥呼の死と結びついているとするのが井沢元彦さんの「逆説の日本史」に書いてあります。これは面白いです。

そこでの井沢さんの主張は……
247年に日食が起きた。それで卑弥呼は殺されます。
なぜか??
古代のリーダーは「霊能力」を持っていることが条件で、戦争の勝敗はリーダーの「霊力」に掛かっていました。それはひっくり返すと、大きな不幸が起きた時、それはリーダーの霊力が弱くなったから、だということです。では弱ったリーダーはどうなるか? 殺されます。霊力の弱いリーダーなど殺してしまって構わないのです。殺して新しいリーダーを迎えた方が良いのです。

それで卑弥呼は殺された。
それが247年。
そして卑弥呼の次、台与(イヨもしくはトヨ)が次の女王となります。これが248年の日食だった。というわけです。もちろんこれは仮説です。でもとても魅力的です。
日食説の問題点
天の岩戸事件は天変地異とその「原因」と「対処」が描かれています。原因はスサノオの狼藉、そして対処は「祭」と、スサノオへの罰です。

つまり、こういった天変地異があったら、こういう祭りをしますよ、祭りをするのはこういう理由ですよ、と物語は言ってるわけです。

この「天変地異」が「日食」だとしたら、こんな物語は残らない。日食なんて頻繁にある事件じゃないから。それに「祭」の方法が非常に複雑で、数十年に一回、あるかないかの天体ショーのために造られた祭祀・祭りとは思えない。
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冬至説

天岩戸事件は冬至の寓話という説もあります。
冬至は一年で最も 昼の時間が短くなる日のことです。
この冬至には天皇の力が落ちるとされ、天皇の魂が離れてしまうと考えていました。そこで天皇の魂が離れないように鎮魂を行っていた、この儀式が天岩戸の物語になったのではないか?という説です。

どうも日食説に比べると魅力が無いのですが、天岩戸で語られているのが、実質、古代の祭祀の様子だというのは、この冬至説には有利です。サカキに玉と幣と鏡を掛け、祝詞をあげて、踊りを踊る。そうして、アマテラスを引っ張り出した。これは日食による事件を表しているよりは、古代の祭祀を物語で表現していると考えた方が自然です。しかも、毎年か何年に一回か、そういう滅多にないことへの対処方ではないでしょう。
ただし、祭祀だから冬至説が有利というのは的外れかもしれません。日食の恐怖が元になってこれらの祭祀が生まれたと考えれば、なんら矛盾はありません。卑弥呼が死んだのは3世紀。古事記が成立したのが8世紀の始め。恐怖が祭祀に変化していくには十分な時間です。

冬至説の問題点
もしも日本人に「冬至」は太陽が生まれ変わるから、天岩戸の物語が出来た、と説明すると、「はぁ…そうなんですか」と言うでしょう。ピンと来ない。冬至と太陽が隠れる天岩戸事件は結び付かない。

なぜか?
日本は緯度が低い。
よって夏と冬の日照時間が違うといっても大差ないのです。ところがヨーロッパは違います。めちゃくちゃ差があります。

例えばイギリスでは夏至は朝の四時から夕方の八時まで太陽が昇っています。つまり16時間。冬至は逆に朝八時から夕方四時くらいです。つまり8時間。冬至は恐怖の対象だったはずです。このまま闇に包まれてもおかしくない、と考えたでしょう。

結局冬至説は、明治維新以降に日本に「神話学」とか「歴史学」というものが入って来たときに、ヨーロッパ人が考える「神話学」の見方をそのまま受け入れちゃったから、今もあるのだと思います。

日本の神話は日本の風土を元にしてみないといけない。日本の風土・環境を考慮すると冬至説は、弱いと思います。

個人的コラム

梅雨の長雨説
古代の日本人にとって、太陽はありがたい物でした。

日本では、日照りもありますが、基本的に日本は雨の多い地域で、太陽は人間を干からびさせるというよりは、穀物の実りを約束する存在だったわけです。

天岩戸事件は案外と、日食でも冬至でも無く、冷夏の日照不足を避けたいという欲求から生まれた神事だったのかもしれません。

日本の夏は蒸し暑く、雨が多い冷夏になると尚更に蒸し蒸しします。すると、植物の生育が悪くなるだけで無く、疫病や、特に食中毒が発生しやすくなります。古代には当たり前ですが、冷蔵庫がありません。長雨は恐怖の対象だったはずです。

太陽が隠れる。
雲に覆われて日がささない。
穀物が枯れることもあったでしょう。
穀物は日光が少ないと抵抗力が落ちて、虫に食べられやすくなったり、病気にも弱く成ります。
しかもシトシトと雨が降る。
ものが腐りやすくなる。
食中毒も起きやすい。
それで病気が広がる。
死人が出る。
なんにもいい事がありません。
アマテラスが隠れるというのは、実際にはこういった夏場の日照と食中毒の恐怖が物語になったんじゃないか?と個人的には思ってます。
●つまり天岩戸は、灰色の厚い「雲」です。灰色の分厚い雲を「岩戸」と表現したとしても不思議ではないでしょう。
●アマテラス(=太陽)が天岩戸(=雲)に隠れる。その原因がスサノオ(=風)です。
●天岩戸の神事が後々には「祇園祭」に変化したのではないか?とも思っています。
●古事記の「天岩戸に籠る」には「狭蝿那須満ち、万の妖悉に発りき」とあります。現代語では「邪心の声が夏の蝿のように響き、災いが溢れかえりました」です。夏の蠅のようにと比喩したのは、長雨でものが腐る様子だったのではないでしょうか
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