卑弥呼

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卑弥呼

漢字・読みヒミコ
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概要

魏志倭人伝に記される日本の邪馬台国の女王。
出生年は不明、没年は248年ごろ。

ヒミコの詳細はまた別に書きますし、wikiなどで調べた方が早いかも。日本神話において卑弥呼はネームバリューだけではなく、主神がアマテラスという女神であることもあって様々な憶測を呼ぶ要素。
名前について
まずこの卑弥呼という記述についてです。
当時の日本には漢字はなく、言葉はあっても文字は無かったとされています。この卑弥呼というのは中国側が書物に記すために発音に近いものをあてた「当て字」で、ヒミコは元々は「日御子」「日巫女」だったのではないか?(文字の仮説は他にも色々あり)というのが一般的です。
ではヒミコというのは何か?というと、ようは役職名と考えるべきでしょう。日御子だとすると、邪馬台国の女王は「太陽の子」という意味で、個人名ではないわけです。


彦は正しくは「日子」。太陽の子であり、卑弥呼と同じ意味合いです。アマテラスの子供達のなかで天皇の系統とされる天津神には「彦」がついています。
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卑弥呼と日食

天岩戸事件は冬至か日食か?
スサノオの乱暴狼藉に耐えかねてアマテラスが隠れる天岩戸事件のことを多くの書籍では「冬至」を表現した寓話としています。確かに世界中の神話では冬至は特別扱いされるものです。冬至の日に太陽が死に、生まれ変わる。

なるほど――。
厳しい冬を表現したというのは分からないでもない。 でもちょっと待ってください。
12月前後になると昼の時間は短くなり、気温が下がります。ですが日本の昼の時間なんて朝7時から夕5時くらいのもの。冬至と言っても大して昼の時間が短くならないのです。これが高緯度のイギリスやフランスになると冬至の昼は9時から3時にまで縮んでしまいます。いまにも太陽が死んでしまうと考えても不思議じゃありません。でも日本では……

天岩戸事件は日食と考えた方が妥当な気が。
それにコンピューターのシミュレーションによると247年の皆既日食は夕日が隠れてそのまま日没するという非常に珍しい現象だったのです。太陽が欠けてそのまま夜へ。それを見た古代人はなんと考えるでしょうか(ただし現在では計算ミスと言われます)。

それに狼藉を働いたスサノオはアマテラスの弟。卑弥呼にも弟がいて、卑弥呼をサポートしていたと魏志倭人伝にあります。関係性と日食、いろいろと勘ぐればキリがないですが、興味深い話です。まぁ、妄想の域を出ることもありませんが。
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わからないことは妄想で埋める楽しさ

卑弥呼はなぞの女。
だから、なぞの部分は別の書物などからの推測で埋めざるを得ない。様々な学者、作家が卑弥呼についていろいろと考えて書籍にしています。そのどれもが結構面白い。突っ込みどころがあっても、全く違うとも言い切れないのです。何せ否定する証拠だってないのですからね。

個人的コラム

神宮皇后と卑弥呼
日本書紀には「神宮皇后は卑弥呼」と示唆してあります。これは嘘。というのが定説ですが、本当に嘘かどうかは分かりません。
日本は先の戦争で神宮皇后の朝鮮征伐が「朝鮮併合」の根拠の一つとしたので、戦後では「神宮皇后は実在しない」というのが定説になりました。しかしそれは必ずしも、です。

日本は古代において
何度も朝鮮半島に進出している

朝鮮の史書「三国史記」には何度も「倭人が来た」と書かれています。日本が目の敵にした「新羅」は232年、346年、393年に倭人が首都を取り囲んだ、と書いてあります。
参考:古代日本史年表

神宮皇后は雄略天皇が宋書の「倭の武王」と比定されていて、逆算すると4世紀の人物と推察されます。よって神宮皇后の朝鮮征伐は346年か393年のうちおそらく346年あたりのことです。ですが、232年の朝鮮半島進出もあります。232年というとバリバリの卑弥呼時代です。

神宮皇后は卑弥呼か?というのはまだ結論付けることは出来ません。

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