大海人皇子

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大海人皇子

漢字・読みオオアマノミコ
別名天渟中原瀛真人天皇・天武天皇
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概要

631年生まれ。ただし、記紀には生年に関する記述が無く、631年という数字は、後年の書物からの推測(一代要記・本朝皇胤紹運録・皇年代略記・仁寿鏡など)。壬申の乱を経て天武天皇となりました。大海人(オオアマ)という名前は、養育係の海部一族にちなんでいるとされます(ただし推測)。

物語・由来

631年生まれ
645年乙巳の変(14歳)
653年中大兄皇子(後の天智天皇)が孝徳天皇と袂を分かち、難波京から飛鳥に遷都する(22歳)
661年母である斉明天皇(皇極天皇)が筑紫で死亡。
663年白村江の戦い(32歳)
668年皇太子となる(37歳)
672年天智天皇が崩御。その際に皇太子を辞して、出家し吉野へと篭る(41歳)
672年壬申の乱(41歳)
673年天武天皇に即位(42歳)
天武天皇について

大海人皇子のなぞ

天智天皇の弟?
大海人皇子(天武天皇)は、古事記・日本書紀の編纂を命じた天皇であるにも関わらず、その生年が書かれていないことから、「出生に秘密がある」とされ、「本当は大海人皇子(天武天皇)が兄」、「大海人皇子(天武天皇)と天智天皇は兄弟ではない」といった説が生まれました。天智と天武は皇極天皇♀の子供ですが、この皇極天皇は二人を生む前に、高向王(用明天皇の孫、父は不詳)と結婚して、漢皇子を産んでいます。高向王と漢皇子は正体不明。この漢皇子が実は大海人皇子(天武天皇)だったのではないか――という説があります。
天智天皇との三角関係
額田王(ヌカタノオオキミ)との間に十市皇女が生まれた後に、額田王は天智天皇(中大兄皇子)に嫁いでいる――つまり天武天皇は恋人と取られた。これが天智と天武の仲たがいになった、という説です。魅力的な話ですが、この根拠が万葉集の歌2つだけで、宴会の社交辞令というか洒落で言ったことがそのまま残ったのではないかという説もあって、ハッキリしません。
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