応神天皇

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応神天皇

漢字・読みオウジンテンノウ
別名八幡神・ハチマンノカミ・ホンダワケ・誉田別尊・大鞆和気命・八幡大菩薩
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概要

第15代天皇。第十四代の仲哀天皇神功皇后の子供。

神の宣託に背いて死んでしまった仲哀天皇の子供、とされますが、記紀の中では仲哀天皇の影は薄く、神功皇后と神の子供とされます。つまり半神半人です。皇后のお腹の中にいるときから、「王」となることを宿命づけられ、「王神」⇒「応神」となったといわれます。
その割に活躍は無し
皇后に活躍の場を奪われたのか、王として産まれたハズの応神天皇ですが、産まれてからは大した活躍もありません。まぁ、母親が激しすぎですね。応神天皇の時代は中国の文化も入っていて、かなり発展した時期ですから、応神天皇は特別な天皇ではあります。応神天皇が本領を発揮するのは、八幡神と神仏習合してからです。
●子供に菟道稚郎子と仁徳天皇がいます。菟道稚郎子は文字を朝鮮から来た王仁に習ったとされます。
●名前をケヒ神と交換したとも。
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物語・由来

平安後期の歴史書「扶桑略記」
欽明天皇の頃に豊前国宇佐(大分県)の厩峯と菱形池の間に容貌奇異な鍛冶のおじいさんが住んでいました。ここに赴任した大神比義(オオガノヒキ・オオガナミヨシ)がこの翁に仕えて三年。「もし神ならば姿を現してください」と祈ると、おじいさんは子供の姿で現れ、「私は15代の応神天皇。護国霊験威身神大自在王菩薩なり」と名乗った。ここから応神天皇は八幡様と習合していきます。
源氏が祀ったことから
現在、日本で一番多い系列の神社が八幡様=応神天皇。これは武士がとった初めての政権「鎌倉幕府」の源氏が八幡様を信仰したことから、武士がこぞって八幡様を祀ったことが理由です。

神社や関連する土地

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