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神功皇后(九)荒魂を先鋒に和魂を鎮に・皇后の開胎
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既而、神有誨曰「和魂服王身而守壽命、荒魂爲先鋒而導師船。」和魂、此云珥岐瀰多摩。荒魂、此云阿邏瀰多摩。卽得神教而拜禮之、因以依網吾彦男垂見、爲祭神主。于時也、適當皇后之開胎、皇后則取石插腰而祈之曰「事竟還日、産於茲土。」其石今在于伊都縣道邊。既而則撝荒魂、爲軍先鋒、請和魂、爲王船鎭。
現代語訳
神からの教えがありました。
「和魂(ニギミタマ)は王身(ミツイデ=ここでは皇后の身のこと)に従って寿命(ミイノチ)を守ろう。荒魂(アラミタマ)は先鋒として師船(イクサノフネ)を導こう」
すぐに神の教えを得て、拝礼(イヤマ)いしました。そして依網吾彦男垂見(ヨサミノアビコオタルミ)を祭の神主としました。そのとき、たまたま皇后の開胎(ウムガツキ=産む月)にあたりました。皇后はすぐに石を取って腰に挟んで、祈って言いました。
「事を終えて、帰った日にここで生まれろ!」
その石は今、伊都縣(イトノアガタ)の道のほとりにあります。
荒魂を導かれて、軍の先鋒として、和魂に頼んで、王船の守る鎮(シズメ)としました。
「和魂(ニギミタマ)は王身(ミツイデ=ここでは皇后の身のこと)に従って寿命(ミイノチ)を守ろう。荒魂(アラミタマ)は先鋒として師船(イクサノフネ)を導こう」
和魂は珥岐瀰多摩(ニギミタマ)と読みます。荒魂は阿邏瀰多摩(アラミタマ)と読みます。
すぐに神の教えを得て、拝礼(イヤマ)いしました。そして依網吾彦男垂見(ヨサミノアビコオタルミ)を祭の神主としました。そのとき、たまたま皇后の開胎(ウムガツキ=産む月)にあたりました。皇后はすぐに石を取って腰に挟んで、祈って言いました。
「事を終えて、帰った日にここで生まれろ!」
その石は今、伊都縣(イトノアガタ)の道のほとりにあります。
荒魂を導かれて、軍の先鋒として、和魂に頼んで、王船の守る鎮(シズメ)としました。
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解説
和魂・荒魂
和魂と荒魂は神の側面です。日本の神は善悪・正邪というのがありません。正しいか正しくないかという枠組みがありません。キリスト教のような一神教では神は絶対的に正しいものです。それは「一神教」だからです。他に対抗する神がいないのですから、絶対的に正しくてもいいのです。
そこで日本人は神のうち、優しくて守ってくれる穏やかな性質を和魂とし、荒々しくときには災害を起こす性質を荒魂としました。どちらも本来は神の一側面だったはずです。それがどこからかで、分離するようになりました。分離自体は古いのではないか?と思っています。
というのも日本人にとって(本来は)神というのは人格の無いものです。自然を神格化していて、目に見えないし、意志というのがそもそも無いのです。ところが時代を経ていくうちに、仏教などの影響を受けて神に人格が生まれた。神に一つの人格があるのならば「和魂」と「荒魂」という概念は生まれにくい。よってこの概念が生まれたのはずっと古い時代だと考えています。
神功皇后と石
神功皇后は石を股に挟んで出産を遅らせるという神業を見せます。この石の神話を見て「朝鮮由来だ」という説もあります。しかし、「垂仁天皇(四)黄牛が白い石に」「景行天皇(二)大碓と小碓の出産」のように出産と石が関わっている物語があり、黄泉の国と現世の間に「石」が置かれていることを考えると、石と生死には関係があることは日本でも古くからあることのよう。また魏志倭人伝には朝鮮の南部には倭人が住んでいたとある、その上、新羅の4代王昔脱解(ソクタレ)は倭人でその臣下の瓢公も倭人なのです。朝鮮半島と日本に仮に共通の文化があってもなんらおかしくない。
だから、この石神話を見て「朝鮮由来」と考えるのは無理があります。
和魂と荒魂は神の側面です。日本の神は善悪・正邪というのがありません。正しいか正しくないかという枠組みがありません。キリスト教のような一神教では神は絶対的に正しいものです。それは「一神教」だからです。他に対抗する神がいないのですから、絶対的に正しくてもいいのです。
そこで日本人は神のうち、優しくて守ってくれる穏やかな性質を和魂とし、荒々しくときには災害を起こす性質を荒魂としました。どちらも本来は神の一側面だったはずです。それがどこからかで、分離するようになりました。分離自体は古いのではないか?と思っています。
というのも日本人にとって(本来は)神というのは人格の無いものです。自然を神格化していて、目に見えないし、意志というのがそもそも無いのです。ところが時代を経ていくうちに、仏教などの影響を受けて神に人格が生まれた。神に一つの人格があるのならば「和魂」と「荒魂」という概念は生まれにくい。よってこの概念が生まれたのはずっと古い時代だと考えています。
神功皇后と石
神功皇后は石を股に挟んで出産を遅らせるという神業を見せます。この石の神話を見て「朝鮮由来だ」という説もあります。しかし、「垂仁天皇(四)黄牛が白い石に」「景行天皇(二)大碓と小碓の出産」のように出産と石が関わっている物語があり、黄泉の国と現世の間に「石」が置かれていることを考えると、石と生死には関係があることは日本でも古くからあることのよう。また魏志倭人伝には朝鮮の南部には倭人が住んでいたとある、その上、新羅の4代王昔脱解(ソクタレ)は倭人でその臣下の瓢公も倭人なのです。朝鮮半島と日本に仮に共通の文化があってもなんらおかしくない。
だから、この石神話を見て「朝鮮由来」と考えるのは無理があります。
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神功皇后(日本書紀)の表紙へ
- Page5 神功皇后(五)火前国松浦国・梅豆羅国の地名説話
- Page6 神功皇后(六)迹驚岡の大磐
- Page7 神功皇后(七)髪を海水ですすいだら二つに分かれる
- Page8 神功皇后(八)吾瓮海人烏摩呂と磯鹿海人の草
- Page9 神功皇后(九)荒魂を先鋒に和魂を鎮に・皇后の開胎
- Page10 神功皇后(十)飼部となり春秋に馬梳と馬鞭を献上し
- Page11 神功皇后(十一)阿利那禮河が逆流し、石が登って北辰になる
- Page12 神功皇后(十二)波沙寐錦は微叱己知波珍干岐を人質に
- Page13 神功皇后(十三)沙麼縣主の祖先の内避高国避高松屋種に神が
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