火前國松浦国・梅豆羅國の地名説話

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神功皇后(五)火前国松浦国・梅豆羅国の地名説話

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原文

夏四月壬寅朔甲辰、北到火前国松浦縣而進食於玉嶋里小河之側。於是、皇后勾針爲鉤、取粒爲餌、抽取裳縷爲緡、登河中石上而投鉤祈之曰「朕、西欲求財国。若有成事者、河魚飲鉤。」因以舉竿、乃獲細鱗魚。時皇后曰「希見物也。(希見、此云梅豆邏志。)」故時人號其處曰梅豆羅国、今謂松浦訛焉。是以、其国女人、毎當四月上旬、以鉤投河中、捕年魚、於今不絶、唯男夫雖釣、以不能獲魚。

現代語訳

仲哀天皇即位9年)夏4月3日。北の火前国(ヒノミチノクチノクニ=肥前国)の松浦県(マツラノアガタ=末羅県=魏志倭人伝の末廬国?)に到着して玉嶋里(タマシマノサト)の小河のほとりで食事をしました。そこで皇后は針を勾(マ=曲)げて鉤(チ=釣針)をつくって、粒(ヒイボ=米粒)を取って餌にして、裳(ミモ=衣服)の糸を取って緡(ツリノオ=釣り糸)にして河の中の石の上に登って、鉤(チ)を投げて、祈(ウケイ=誓約)をして言いました。
「わたしは西の方の財(タカラ)の国を求めようと思う。もしも事を成すならば、河の魚(イオ)は鉤(チ)を飲めっ!」
それで竿をあげると、細鱗魚(アユ=鮎)が取れました。それで皇后は言いました。
「珍しいものだ」
希見は梅豆邏志(メズラシ)と読みます。

それでその時代の人はその場所を梅豆羅国(メズラノクニ)といいます。今、松浦(マツラ)というのは訛ったからです。
それでその国の女性は4月の上旬になると、鉤を河中に投げて年魚(アユ)を捕るということを今でも絶えずやっています。ただし、男は釣っても魚が取れないのです。
古事記の対応箇所筑紫の末羅県の玉島里
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